絶え間ない努力の末に。掴んだ“有言実行”の日本一

2019シーズン、4年連続5回目の日本一に輝いた富士通フロンティアーズ。その栄光への道は、1人の男なくしては語れない。クオーターバック(以降QB)#18高木翼だ。11月30日のエレコム神戸ファイニーズ戦で、負傷したエースQB#3バードソンに変わり、初めて先発出場。その後、RICE BOWLではMVPを獲得し、4連覇の立役者となった存在である。

日本代表にも選出され、ターニングポイントとなったシーズン。その1年を高木は、こう振り返る。「4年間出番のない控え生活でしたが、その間の取り組みは無駄じゃなかった。1度しか来ないと思っていたチャンスを活かせて、“アメフトは最高に楽しい”と感じたシーズンでした」。

そこに至る、ひとつのエピソードを紹介したい。

高木家にとって勝負の1
高木が初めて先発出場を果たした、Xリーグ2019セミファイナル ファイニーズ戦。試合が行われた11月30日は、高木翼、並びにその家族にとって忘れられない1日となった。

レギュラーシーズン7試合を全勝で終えたフロンティアーズは、前年加入したQBバードソン中心に、力強いラン、高く評価されるディフェンス力をさらに強化。連覇へ向けて邁進していたが、11月17日のオービック戦でQBバードソンが負傷。その代役を入社4年目、ずっと控えQBとしてベンチを温めてきた高木翼が担うことになる。

レギュラーQBの負傷により、言い渡されたスタメン出場。準備はしてきたが、プレッシャーを感じずにはいられない。「その時は本当に緊張して、試合前はご飯も喉を通らないぐらいでした」。

そして、なんという運命の悪戯か、実はこの先発出場が約束されていた日、それが高木家の第一子出産日と重なったのである。

「試合前日の夜から妻の陣痛が始まったのですが、僕にとって本当に重要な試合だったので、妻が『試合に集中して欲しい』と言ってくれました。それで、実家からお義母さんが夜22時ぐらいに迎えに来てくれて、僕をぐっすり寝かせてくれました。朝起きたら5時頃で『高木家にとって勝負の一日だね』というメッセージをもらいました」。

初産で不安ばかり募ったであろう奥さんは、気丈にも最高のコンディションで高木を試合に送り出したのである。

支えてくれた妻からの言葉
勝負のファイニーズ戦は、最初のプレーでRB#29グラントが独走。70ヤードのビッグゲインでゴール前へ運ぶと、高木からWR#81中村へのパスが決まり先制。この得点でリラックスできた高木は、この一戦を31-13で勝利に導き、自分の役割をこなした。

試合後、高木は病院へ直行。幸いにも第一子誕生の瞬間に立ち会うことができたのだ。

「そのあと4時間ぐらい付き添って、22時間程の長い出産の末に、無事に生まれました。子どものこともあり、妻はその後の準決勝、JAPAN X BOWL、RICE BOWLと試合に来ることはできませんでしたが、学生時代を経て社会人での転職、富士通での4年間の努力を支えてくれた存在です。日本一になると決めて、日々努力してきたことが実を結んだので『有言実行してすごいね』と、妻にも言ってもらえました」。

本当に奥さんのおかげですね、と言うと、高木は心からの言葉でこう返した。

「そうですね。本当に感謝しています」。

後悔しないために選んだ、難しい挑戦
高木が言う“日本一までの努力”も、また特別なものだ。なぜなら彼は、出場機会が減ることを理解した上で、富士通への移籍を決めたのである。

小学校2年生の時、アメフト選手だった父の影響でフラッグフットを始めた高木。最初はサッカー7割、フラッグ3割の生活だったが、中学校時代に父の海外赴任先アメリカでNFLを観戦。その魅力に心を奪われ、高校以降はアメフトに専念し、大学では生活の全てをアメフトに捧げた。

それでも、日本一には届かず、社会人リーグへ参戦。当時4連覇中だったオービックシーガルズに入団する。しかし、1年目が終わり、チームの方向性が変わる中、高木はひとつの決意をした。

「チームにアメリカ人QBが来ることになり、長期的な努力が必要だと感じました。それだと、僕の実力からして1~2年でレギュラーポジションを奪うのは難しい。転勤が多い仕事だったので、競技と仕事を長期間、両立するのは難しいと感じたのです。思い悩んだ末“アメフトをやめるのか”とも思いましたが、転職を決意しました」

そこで普通なら、出場機会を求めて移籍先を決めるだろう。しかし高木が選んだのは、当時リーグ最高のQBコービー・キャメロン擁する富士通だった。運が悪ければ、ほぼ試合でプレーする機会がなくなる。しかし、高木は「特にキャメロンがいたから移籍をやめるという発想はなかったです。逆に、当時群を抜いて優秀といわれていたキャメロンの下で技術を学び、成長したりできるだろうと思って決めました」。

移籍後、やはり満足に出場機会は得られなかったが、技術やメンタル面など高木は総合的に成長。そして巡ってきた昨シーズンのチャンスを、見事に活かしてみせた。当然その成功が、いかなる時も腐らず練習を続けてきた、高木の努力の成果なのは言うまでもない。

「移籍に関しては本当に悩み抜いて、妻や親、学生時代のヘッドコーチなど色々な人に相談しました。最後は妻から『一度きりの人生だから、自分のやりたいことで勝負した方がいいよ』と声をかけてもらって決断しましたね。やはり、一度きりの人生なので後悔したくない、と思えました」。

その勇気ある挑戦なくして、この成功はあり得なかったのである。

今度は実力で、そのポジションを手に
昨シーズンはMVP級の活躍を見せた高木。しかし、これで未来のポジションが約束されたわけではない。新シーズンはバードソンも復帰、また激しいレギュラー争いが待っている。しかし、本人は「相手が日本人でも外国人でも、自分が試合に出るために何をするか。自分の問題という意識を持って、あらゆる行動を努力に繋げていくしかないと思っています」と、決意を固める。

そして目指すは、富士通の5連覇達成だ。「チームとしては今年、前人未到の5連覇がかかるシーズン。一日一日、一戦一戦を全力で取り組み、最終的に日本一を達成したいと思っています。個人的には、去年がスタートライン。去年はバードソンの怪我でチャンスが回ってきただけなので、自分の実力で日本一に貢献したいです」。

今年2月には、初めて日本代表にも選出された。今後は日本代表QBとしての、キャリアも待っている。「初代表は、自分の努力が実を結んだと感じられて本当に嬉しかったです。今後のモチベーションにもなりました。当然、富士通での取り組みの延長線上にしか日本代表は無いので、自分の伸びしろを信じて日々の努力が大切だと思っています」。

その原動力は、常に応援してくれるファンの存在である。「全く出場機会のない時からずっと、声をかけてくださる方々がいて、まずはそういった方々に感謝したい。今後はコロナ禍で先行きが見えず、観戦スタイルも変わるかもしれませんが、ファンの方々の声援は確実に選手一人ひとりに届いています。ぜひこれまで以上に熱い声援を、よろしくお願いします」

その勇敢なチャレンジ、絶え間なく努力を続ける才能。まさにフロンティアーズのチームスピリッツを体現する男は、フィールドでも社会でも、さらなる輝きを放ち続けることであろう。