1%の余白を残して 競歩
松永大介インタビュー (後編)
2023年9月23日の全日本実業団対抗陸上競技選手権大会で現役を引退した松永大介。攻めるレースで私たちを魅了し続けた松永選手に、これまでの競歩人生、これからの歩みをお聞きしました。
(聞き手:富士通株式会社企業スポーツ推進室 柏原竜二)
国際大会の1年延期
柏原 実際に松永選手が途中棄権している様子とかは情報で入ってきてて、2020年に向けては、競技するのが怖い時期だったんじゃない?
松永 正直、試合に対して前向きになれてはなかったですね。でも、自分の現在地を知るには試合に出るしかない、ましてや2020年の国際大会前だったのもあり、かなり焦りもありましたね(笑)
柏原 これは私の個人的な主観なんだけど、松永選手レベルになると、現状確かめなくても「無理じゃん!」と思うじゃない? でも、よく試合に出たよね。
松永 とりあえず、出場して結果を残さなきゃと思う部分が大きかったですね。
柏原 それは、自分のために? 富士通のために?
松永 んーどっちもですね。いろんな人から「東京を目指して」という言葉を頂いて、アスリートである以上、目指さなきゃいけないものと思っていましたし、そこを裏切れないという気持ちもありました。周りの人のため、そして何より自分自身のために。
柏原 代表選考から外れて、コロナ禍もあり、国際大会も1年延期したけれども、その中でも、他の代表選手とも一緒に練習してたよね? その姿を見てどうだった?
丸尾さん(丸尾 知司:愛知製鋼)と藤澤さん(藤澤 勇:ALSOK)と一緒の練習(写真提供:松永大介)
松永 競歩ってみんなで練習するんですよね。それは富士通という枠を超えて。それこそ、山西 利和選手(愛知製鋼)も一緒に。山西選手は自分の1つ下の選手で、悔しいという思いはどうしても無くならない、でもそれを思っていても仕方がないと自分の感情を押さえつけてましたね。競技から離れたタイミングがコロナ禍のタイミングだったので、「ここからまた一斉スタートになるだろうな」と思っていたので、僕の心としては、今思えば、気持ちの切り替えができて、助かったなと。
2022年、35㎞競歩の日本代表に
柏原 2021年の国際大会が終わって、冬になって競歩シーズンが始まったけど、「松永、え? 35kmやるの!?」とビックリした。まさかの35㎞競歩への転向だけれども、どういう経緯だったの? ケガもあった中で、練習量も増え、距離を延ばすのは怖くなかった?
松永 まず一つは現実的に20kmじゃ戦えないと思って。日本は山西選手、池田 向希選手(旭化成)、高橋 英輝選手(富士通)が、ほぼ毎回代表権を獲得していて、その次の選手との差がかなり空いていて、その差を1~2年で埋められるか?というと難しい。
富士通練習風景。左は高橋英輝選手(写真提供:松永大介)
あらためて、20km競歩の代表に戻ることを考えると、ケガしてイチから身体を作り直している中で、スピードを強化しづらかった。むしろ、距離を伸ばして、スピードを落とすしかなかったというのもありました。また、2022年のオレゴンの世界選手権では種目が50kmから35kmに変わったのがラッキーでした。50kmだとそれ以上に練習期間が必要になるので、厳しかった。35kmなら、もともとある20kmの能力がプラスになるなと思ってチャレンジできました。
柏原 結果、20km、35kmどちらも代表権獲得したよね?(笑)
2022年3月、全日本能美競歩男子20㎞競歩で優勝し、オレゴンの日本代表に内定(写真提供:共同通信社)
2022年4月、輪島の日本選手権男子35㎞競歩で2位に入り、日本代表内定が濃厚に
松永 本当は、当初20km 競歩の試合は出場する予定なかったんですよ。実はあの時、1か月で20km(神戸)、20km(能美)、35km(輪島)のレース予定が組まれていて、結構ハードだったんです(笑) 2回目の20kmは35kmに向けての状態確認のレースにしようと今村コーチとも話していて、なおかつ1週間前の練習がそこまで良くなくて、出場も悩むレベルでしたが、前々日ぐらいから急に調子が上向いてきて「もしかしたら、勝負できるかもしれないですね」と話していました。そしてレース当日、自分が有利になるレース展開で、途中から勝負しちゃおうと。本当にラッキーでした。コースの相性と今まで耐えてきたものが重なった結果ですね。
柏原 あえて、いじわるな質問をするね。20km競歩、35km競歩の代表権を獲得できて、今まで20kmで戦ってきたのに結果20kmを選ばなかった。僕だったら「20kmに帰ってこれた!」と喜んでしまうんだけど(笑)
松永 今年引退はしましたが、来年のパリを最終目標にしていたので、20kmで出場できるならと考えていましたが、競歩界は僕一人で戦っているわけではなくて、僕がどっちに行くか?によって次の選手が決まってくる。当時20km競歩の4番手の選手に、若手の選手がいて、山西、池田、高橋選手たちが抜けた後のことを考えると、そういった選手に経験を積んでもらう方が日本競歩界のためになると思いました。あとは僕が単純に35kmに出場してみたかったというのが大きいです。
柏原 2024年のパリでは35km競歩は開催されないかたちになりましたが、オレゴン世界選手権で代表に戻ってきて、スタートラインに立った時の気持ちは?
松永 意外と何も思わなかったですね(笑)
柏原 はっはっはっ(笑)
松永 朝眠いなーと思って(笑) 2時起きで、6時30分スタートで、意外と何も思わなかったですね(笑)
柏原 我々も4時起きで松永選手を応援してたよ(笑)
松永 ただ・・・ひとつやってやろうと、最初から逃げるレースを仕掛けてみましたけど。
柏原 (爆笑) 可能性の問題だけど、前半大逃げをしたわけだけど、後ろで後半まで待機していた方がメダルの確立は上がったんじゃないか?と思うんだよね。でも、前半の大逃げを選択した理由って何があったの?
松永 一つはケガが響いていて、夏場が正直、最低限の練習しかができていなくて、ラストまで体力を残して、勝負できる自信はなかった。なので、後ろがけん制してくれれば、本当にラッキーだなと思ってました。なんとなく集団にいて、なんとなく離れていって、結果も残らなければ「何しに出場したの?」って僕の中ではなるので。それよりは、少しでも日本人選手として前に出て、みんなが盛り上がってくれれば、競歩そのものにも注目がいくと思い、それだけでも十分、前に出る価値はあると思いました。
柏原 そうかぁ。レース中は、SNSの反応が特にすごかった印象があって、結構沸いてたね。あと松永選手は、ロードレースでは(最短のはずである)真ん中を歩かないですよね。
松永 真ん中歩くと遅く感じるんですよね。
柏原 インコースはコーンが並んでるから遅く感じにくいと思うけど、絶対沿道側によるよね?
松永 沿道の方が情報は多いですよね。いろんな声が入ってくるんですよ。レース中は自分であまり考えたくないので、教えてもらうことが良いですね。あまり気にせず歩けるのは沿道側です。あとはシンプルに端っこが、人がいないので歩きやすい。
柏原 オレゴンのレースに話を戻すと、最初大逃げをして、次第に、先頭に追い付かれてからも、日本代表の仲間の選手にめちゃくちゃ声かけてけど、普通だったら、メダルや入賞が遠のいて「悔しいな」と思うじゃない?でも、松永選手の「一人で戦っているんじゃない」があったんだね。
松永 そうですね。レースに出る前から川野 将虎選手(旭化成)、野田 明宏選手(自衛隊体育学校)には会話をしていて、競歩でメダルをひとつ獲得しようと。そして他の選手もみんな入賞しようと話をしていました。3人で目標をひとつ掲げようと。なので、途中追い付かれる展開になるから、ちゃんと集団で待機して後半勝負してほしいというのは伝えていて、結果的に川野選手がメダルを取るレースをしてくれました。早々に僕が集団から離れてしまいましたが、身体は動かなくても、声は出る。
現役引退を決めた理由
柏原 諦めずにゴールして、帰ってきた嬉しさと悔しさがレース後のインタビューから伝わってきて、てっきりパリを目指すと思っていたのだけれども、今年で引退を決めた理由はなんだったの?
松永 ひとつは種目の変更が大きいですね。オレゴン以降、35kmで勝負しようと思っていたのですが、パリでは実施されないことがわかり、やり場のない憤りを感じたりはありましたが、今年の冬場、体調を崩すことが多くなって、実は神戸の日本選手権競歩後に少し入院もしたり、そもそも、気持ちと身体がリンクしなくなってきたのもありますね。おそらく、来年のパリまで続けても、いい結果は生まないと自分の中で感じていました。
柏原 身体が限界だったんだね。
松永 オレゴンの代表選考まで結構、急ピッチで身体を仕上げて、無理して出場できたという感じだったので、復帰したあとも完全に強化ができていた訳ではなかったので、オレゴンの試合が終わった後に、自分の中で選手としての在り方みたいなものが崩れた感覚があって、潮時かなと感じました。そして、オレゴンのレースが過去1番だったので、燃え尽きましたね。
柏原 本当にオレゴンだけに合わせてたんだね。
松永 そうですね。
柏原 今年9月の全日本実業団で引退レースになって、印象的だったのは富士通の400mの佐藤拳太郎選手が大泣きしてた姿でした。あれはどうしてなの?
松永 同期で、たまに連絡を取ったりすることはしていたのですが、なんであんなに泣いてたのかはよくわかんないです(笑) ゴール後、僕も泣くの我慢してたんです。メディアに使われるから。そしたらサトケンが号泣してるから「勘弁してくれよ」と、もらい泣きしました。
引退挨拶の際、スタンドに駆け付けた佐藤選手
柏原 佐藤拳太郎選手に、松永選手が頑張ってたのが一番伝わってたんじゃないかな。その姿を見て、松永選手は人に愛されてるなと思って。これからは、実際に社業に入りつつも週末はコーチとして過ごす訳だけど、そこに対する不安とかありますか?
松永 正直、不安はありますね。平日業務をして、休日はコーチをするという、すべてが新しい生活スタイルなので。
柏原 怖いよねぇ(笑)
松永 元々、仕事をずっとしてみたいと思っていたのですが、高校も大学も競技に集中していたのでバイトもしたことがなくて・・・。人間的な厚みという部分が今は本当に足りないなと感じていて、まずはここでちゃんと業務についてみたいと思っていて、不安はありますが「どういう仕事をこれからしていくのだろう」とワクワクした気持ちもありますね。
柏原 僕は業務についた頃、夜中2時に「やべぇ!寝坊した!」と叫んで起きたことあるよ(笑)
松永 大学の朝練みたいですね(笑)
柏原 自分は、今は企業スポーツ推進室で業務をしていて、色んな記事やインタビューをしてますが、アスリートとしてやってきたことは間違いなく身についていると思うから、いままでの経験したことを、今度は会社という枠に落とし込んで、馴染ませていくことが大事になってくると思うんだよね。そういえば、松永選手は、結構、社員や地域のイベントに積極的に参加してくれてたよね?
松永 会社に所属しているのに職場との距離が遠かったり、関係値が薄かったりするのは勿体ないと常日頃思っていて、そんな中、コロナ禍になって、あらためて陸上競技部でミーティングする機会があって、選手一人ひとりに話を聞いてみると、「こんなことやってみたい」という選手は多かった。陸上のイベントをいつかやりたいという声があったので、じゃあ、いまできることをやってみようよと、選手主体で立ち上がったイベントグループでは、オンラインからできることをやってみました。配信や動画の編集のことは、僕はわかっていたので、企画を引っ張るときもあれば、運営に回ってお手伝いをしました。
柏原 それが楽しいというのが松永選手から伝わってくる。
松永 色んな事にトライしてみる、チャレンジしてみるのは好きで楽しいので、ほかの職場の方々にプラスになればいいなと思う。
柏原 いままでの話を聞いて松永選手は自分が楽しいのも大事だけど、他人を喜ばせることが好きな印象がある。
松永 みんなで楽しい思いをしたい。僕だけじゃなく一緒に何かできたらいいなと。
柏原 こういう経験はや想いは指導することにもすごく活きてくることだと思うんだ。そこで、聞きたいのは今村コーチとの関係性はどうだったのか、改めて振り返ってもらいたくて。
松永 今村さんはすごく頭の回転の良い方で、僕が足りないところをちゃんと補ってくれる。感覚だけで競技をずーっとやってきたので、それをうまく言語に落として説明してくれました。選手とコーチとしての関係はすごく良好でした。自分ができない表現をしっかりしてくれる方でした。途中から森岡コーチ、高野善輝コーチ(現在は長距離ブロックコーチ)も競歩ブロックのコーチに加わり、さらにサポートの厚さが増しました。競技生活ではこれ以上ない環境でした。
99%やり切った競技人生
柏原 来年度まではどんなスケジュールで過ごしたい?
松永 それが全く読めてないんですよね(笑)
柏原 実際に教える立場になる訳じゃない?これだけは忘れないでおこうとかありますか?
松永 いまだに自分の指導者像がイメージ掴めてませんが、選手に寄り添って意見を聞いて、一方的にだけはならないようにしたいと思ってます。自分が学生の頃とはまた違った学生の気持ちもあるだろうし。僕も柏原さんも知ってる東洋大学って優勝を目指していた頃の東洋なので、2位、3位が悔しい。駅伝チームと一緒に競歩も一緒に強化できるように、そして競技が楽しいと思ってやっていけるようにしていきたい。
柏原 そのためにも競歩でプラスの材料を作る。松永選手の在学中での有名なエピソードとして、長距離メンバーを叱咤激励するためにも「俺が箱根駅伝を走る。俺が5区をやる」って言ったって聞いてるけど?
松永 ありましたね。本気で5区要員の子たちと練習してました(笑)
柏原 陸上競技一体となって鼓舞するって大事だよね。それって、富士通陸上競技部も同じことがいえるよね。
松永 そうですね。長距離は寮が一緒なので、練習や成績では凄いなと思う部分もあるけど、日常生活はそんなに変わらない。オン、オフの切り替えもしっかりしていて、近場にいて本当に良い刺激になりました。
柏原 ここまで色んな話を聞いてきたけど、改めて松永選手の競歩人生ってどうでしたか?
松永 大きかったのはたくさんの人と繋がりを持てたことで、競歩をやっていなかったら出会えなかった人がたくさんいて、職場の方に応援してもらえて、本当に幸せだったなと感じてます。競歩は僕の中で大きいキャンパスで、少しずつ色を塗っていけて、引退した時にちゃんと色がいっぱいになっている状況で本当に幸せだったなと。
柏原 実業団の引退レースの時に「99%後悔はありません」って言っていたけど、あとの1%の白い部分は今後埋まるのかな?
松永 そうですね。競技生活では埋まらなかった部分なので、僕が教えていく子たちで埋めてもらえたら嬉しいですね。
松永 大介 – 陸上競技部 – Fujitsu Sports ; 富士通
聞き手:柏原竜二プロフィール
1989年7月13日 福島県いわき市生まれ。2012年から富士通陸上競技部にて活動し、2017年3月末で現役引退。現在は同社 企業スポーツ推進室のプロモーショングループに所属。スポーツ活動全般への支援、地域・社会貢献活動などを担当し、幅広く活動している。
(前編)