第71回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会 |
|
開催日時 | 2023年09月22日(金曜日) 〜2023年09月24日(日曜日) |
---|---|
開催地 | 岐阜メモリアルセンター長良川競技場 |
男子棒高跳
1位 | 澤慎吾(きらぼし銀行) | 5m50 |
2位 | 大﨑洋介(日体大教職員) | 5m40 |
3位 | 来間弘樹(ストライダーズ) | 5m30 |
… | ⋮ | |
17位 | 江島雅紀(富士通) | 4m80 |
1位 | キプラガット エマヌエル(三菱重工) | 27分27秒10 |
2位 | キプランガット ベンソン(SUBARU) | 27分28秒59 |
3位 | シトニック キプロノ(黒崎播磨) | 27分29秒07 |
… | ⋮ | |
4位 | キメリ ベナード(富士通) | 27分30秒71 |
37位 | 伊豫田達弥(富士通) | 29分14秒06 |
途中棄権 | 坂東悠汰(富士通) |
1位 | 池田向希(旭化成) | 38分46秒81 |
2位 | 濱西諒(サンベルクス) | 38分54秒98 |
3位 | 古賀友太(大塚製薬) | 39分14秒33 |
… | ⋮ | |
6位 | 高橋英輝(富士通) | 41分56秒86 |
7位 | 鈴木雄介(富士通) | 42分37秒36 |
8位 | 松永大介(富士通) | 42分50秒60 |
男子200m 予選 3組(-1.6)
1着 | 佐藤拳太郎(富士通) | 20秒78 |
1位 | 佐藤拳太郎(富士通) | 20秒70 |
2位 | 安田圭吾(住友電工) | 20秒86 |
3位 | 伊藤孝太郎(東京ガスエコモ) | 21秒09 |
1着 | 石川周平(富士通) | 13秒67 |
1位 | 野本周成(愛媛県競技力) | 13秒53 |
2位 | 藤井亮汰(三重県スポーツ) | 13秒57 |
3位 | 石川周平(富士通) | 13秒58 |
1着 | 田中佑美(富士通) | 13秒19 |
1位 | 大松由季(サンドリヨン) | 12秒97 |
2位 | 福部真子(日本建設工業) | 13秒04 |
3位 | 清山ちさと(いちご) | 13秒10 |
… | ⋮ | |
4位 | 田中佑美(富士通) | 13秒10 |
1位 | 富士通 | 26点 |
2位 | KAGOTANI | 21点 |
3位 | 住友電工 | 19点 |
1位 | ミズノ | 22点 |
2位 | KAGOTANI | 22点 |
3位 | 今村病院 | 21点 |
… | ⋮ | |
52位 | 富士通 | 5点 |
1位 | KAGOTANI | 43点 |
2位 | 新潟アルビレックス | 33点 |
3位 | 富士通 | 31点 |
江島は約1年3カ月ぶりに試合へ戻ってきた。結果は4m80で17位。自己ベストの5m71にはほど遠い結果だったが、胸には充実感が広がっていた。「これまでオリンピックや世界選手権も経験してきましたが、それよりも価値があると感じた試合だった」。弾んだ声で、復活への第一歩をかみしめた。
東京2020オリンピック日本代表となるオリンピアンは、苦悶の日々を過ごしてきた。昨年6月に競技会で右足の舟状骨を骨折。今年3月には右足の付け根の骨を移植するために再手術へ踏み切った。リハビリ生活は、競技はもちろん、普段の生活もままならなくなった。「歩きたいのになかなか外に出られない日々は苦しい時間でもありました」。静かな声で回顧する。
そんな中、心の拠りどころとなったのは、「2つの夢」だった。「1つはもう一度オリンピックへ出場したい、もう1つは世界的なテーマパークに関わる仕事をしてみたいというものです」。もともとテーマパークが大好き。手術後も足を運んだ。“夢の国”は苦しさを和らげてくれた。「陸上だけでなく、逃げ道があるのが良かったのかもしれません。思い詰めるのではなく、現実からうまく離れることも出来ました」。
6月からジョグを始め、8月末には跳躍練習をスタート。日本選手権やブダペスト世界選手権が開催される中、家族や医師の支えのもと、1歩1歩進んできた。ようやく迎えた復帰ゲーム。スタンドからの歓声が耳に届いた。「1年も出ていなかったのに、忘れられていなかった。試合会場の雰囲気を感じることが出来て、当たり前が当たり前じゃないとあらためて思いました」。涙があふれた。
復活への道のりでは「一人の人間として学びがあった」と気付きも得た。これまで以上に、周囲の支えに目が向くようになった。この先は2025年世界選手権東京大会を見据えるが、「チャンスがあればパリ2024オリンピックも狙いたい」と意欲を燃やす。「まずは食事や冬季トレーニングを見直し、徐々に試合に出場していきたいと思っています」。スタートラインに立った喜びを胸に、次の1歩を踏み出していく。
高橋 英輝
高橋は男子10000m競歩に出場し、41分56秒86で6位に入った。同20km競歩で21位となった8月の世界選手権ブダペスト大会から、約1カ月ぶりのレース。帰国後は体調を崩す期間もあった中、スタートラインに立った。「今日はいけるかな」との感触もあったが、「途中でわき腹が痛くなってしまった」とやや歩幅を狭めた歩きを展開。ペースを抑え気味でフィニッシュし、「今日はまずまず」と振り返った。
この日は松永のラストレース。最後まで攻めの姿勢を貫く後輩の姿に「やっぱすげぇな!」と刺激を受けた。「彼は常に気持ちを全面に出すレーススタイルで、僕もここまで陸上を頑張ることが出来ました」。笑顔で感謝を表し、「一緒に歩けてよかった」とうなずいた。
今後は来年2月の日本選手権(20km競歩)へ調整を進める。「11、12月の練習が大事。そこで勝負が決まる。いかにベストな体の状態をキープできるか」。課題を胸に、精進を続けていく。
鈴木 雄介
鈴木は男子10000m競歩に出場し、42分37秒36で7位となった。先頭集団は追わず、あくまで自分のペースを刻んだ。「もともと調整段階できついと分かっていた。今日はなかなか出し切れていない」と冷静に振り返った。
今年5月の東日本実業団選手権で3年2カ月ぶりにレースに復帰。ただ、その後は酷暑の関係で想定よりもトレーニングが積めなかった。「(理想が100とすれば)低く見積もって40くらい」とし、「練習次第。練習が全てを物語っている感じです」と“練習”との言葉を繰り返した。
19年の世界選手権ドーハ大会男子50km競歩で金メダルの35歳。今夏のブダペスト大会で日本競歩勢のメダル獲得は1つにとどまり、海外勢の強さを感じ取った。「世界のレベルが顕著に一気に上がってきた印象を受けました」。原点に回帰し、チャレンジャー精神を奮い立たせていく。「今回は調整を重視してきた流れがありますが、挑戦者の気持ちで海外に臨むマインドや練習方法が必要かなと思います。自分はステージに立てていないので、そのレベルへ一段階上げるつもりでトレーニングを積まないといけないと感じました」と自らに言い聞かせるように語った。
この日は松永のラストレースでもあった。「年下が引退していくようになった。時代も変わってきた」と時の経過を感じる中、高みを目指す姿勢は変わらない。「後輩に負けず、勝てるように頑張りたい」。今後は10月中旬のかごしま国体で10000m競歩へ出場予定。「しっかり石川県の代表として入賞は取れるようにしたい」と誓った。
松永 大介
松永がラストゲームを8位で締めくくった。夕陽が傾きかけた岐阜メモリアルセンター長良川競技場。レースが始まると、他の選手たちからの計らいを感じ取った。「思った以上に後ろが来なかったので」。先頭で最初の1000mを引っ張り、意地を示した。「何となく終わるよりも、最後は形になるレースをしたほうがいいな」。力を振り絞り、思いをレースに込めた。「今日はしっかり最後まで歩き切れた」。そう言うと、真剣な表情を緩め、「ファンサービスみたいなもの」と笑顔を浮かべた。
歴史を切り開いてきた。東洋大時代には世界ジュニア選手権の男子10000m競歩で日本初の金メダルを獲得。リオデジャネイロ2016オリンピックでは、男子20㎞競歩で同種目の日本勢では初入賞となる7位となった。パリ2024オリンピックも見据える中、決心がついたのは昨夏の世界選手権オレゴン大会。序盤から積極的に攻めの姿勢を貫いた。「自分のやりたいレースができた。やりきった思いが大きくなった」。澄んだ瞳をたたえた。
これまでの競技人生。心の中は、99%が「やり切った」との思いを占めるが、1%はかすかな後悔が残る。「やっぱり(世界で)メダルを取りたかった。そこは叶う人、叶わない人がいる」。これからは社業に専念する傍ら、休日には母校の東洋大で女子競歩の指導にあたる。成し遂げられなかった夢を、後進へと託していく。
伊豫田 達弥
伊豫田が男子10000m1組に出場し、29分14秒06で14位となった。後半で離される展開となり、「記録がほしいレースだったので悔しい。最後は弱いところが出た」と顔をしかめた。
今春に富士通へ入社。夏を迎えるまでに体調を崩した影響もあり、夏合宿に出遅れた。その合宿では長野・菅平の高地で「苦手な」クロスカントリー用のコースなどで走り込んだ。昨年まで在籍した順天堂大学の練習と比べ「距離の長さはあまり変わらない」が、「質の面で違う。高い負荷の練習ができていなかったので、対応しないといけない」とレベルの高さを痛感した。
実業団1年目の今季は、1つ1つのレースの大切さも感じた。「記録を出さないとがないと実業団の中では置いていかれる。それが前提にあって戦わないといけない」。今後は東日本実業団対抗駅伝や八王子ロングディスタンスでの好走を目指す。大粒の汗を流し、表情を引き締めた。
キメリ・ベナード
ベナードが男子10000m2組に出場した。レース後半には、第2グループの先頭を引っ張る走りで27分30秒71の4位に入賞。「コンディションはあまり良くなかったが、夏の菅平合宿で良い練習が積めた。良いメニューを継続的に取り組めた成果が出た」とうなずいた。持ち味は「ビルドアップ」で、次第にペースアップし、後半以降も粘りを発揮できる走りに強みを感じている。
今後の第一目標はレガシーハーフマラソンでの優勝。昨年の同大会は3位だっただけに、「上を目指したい。昨年のリベンジをしたい」と見据えた。駅伝へも意欲を見せ、「レガシーハーフを駅伝へとつなげていきたい」と笑顔で意気込んだ。
男子400m日本記録保持者の佐藤が同200m決勝に臨み、20秒70(+1.0m)で優勝した。自己新記録をマークしたが「最初の100mがとにかく遅い」と表情は浮かなかった。
9月末から始まるアジア大会(中国)へ向け、「絶対的なスピードがないと、400mでは戦えない」との狙いのもと、200mにエントリーした。最後の直線で後続との差を離したものの、前半は納得のいく走りが出来なかった。「まだまだ出力が足りていない」。序盤のスピードに課題を残した。
今夏は世界選手権ブダペスト大会で400mに出場。予選で44秒77をマークし、32年ぶりに日本新記録を樹立した。ただ、そこで実感したのは、世界の上位陣との差。「400mの世界のトップランナーたちは前半で19秒台に乗せてくる」とレベルの高さを痛感した。「
44秒前半や43秒を狙っていかないと、来年のパリ2024オリンピックでメダル獲得には届かない」と危機感を募らせる。
ブダペスト大会では準決勝敗退となったが、来夏のパリオリンピックではメダル獲得を目指す。そのためにも、アジア大会では勝ち切るレースを追い求める。「(オリンピックで)メダルを獲得できるのは、自国、エリアで勝つ選手。そこで足踏みしていては置いていかれるので、アジア大会ではしっかりエリアチャンピオンを取りたいと思います」。淡々とした口調で誓った。
石川は約2カ月ぶりのレースとして男子110mHに出場し、13秒58(+0.7m)で3位となった。「スタートの2歩目、3歩目でバランスを崩して、ハードルの1台目へ加速できないまま入ってしまったため、中盤以降は立て直しながら走ることになった」。序盤でリズムを刻むことが出来ず、試合後は表情をしかめた。
4位となった6月の日本選手権の前後から右の股関節に違和感を覚えていた。その影響もあり「リード足を巻き上げて、下から振り上げる動きになっていた」と動きにズレが生じていた。今夏はその課題と向き合い、エクササイズなどで修正。この日はその成果が発揮できなかったが「ここ2週間は状態も上がっていた。状態を確かめることは出来た」と前を向く。
9月29日から始まるアジア大会では、結果を追い求める。「高山峻野選手(ゼンリン)や中国の選手たちが優勝争いに加わってくると思うので、まずは高山選手に先着したいです。そうすれば結果もついてくる」。力を入れてきた前半の走りを発揮し、アジア王者へ突き進む。
田中は女子100mH決勝に臨み、13秒10(+2.0m)で4位となった。世界選手権ブダペスト大会後は初のレース。9月29日から始まるアジア大会への調整レースを終え「とりあえずレース感を取り戻すことが1つの目的でした。自分のペースで走ることをイメージしていました」と振り返った。
今夏は初の世界選手権に出場。13秒12の7着で予選敗退となった。海外勢の背中を追うレースとなり「置いていかれる感覚」を味わった。この日はそのイメージを払拭することも狙いの1つ。「ちょっとでも抜け出せれば」と駆け抜けた。
今季は4月の織田記念で初の12秒台となる12秒97をマーク。「勢いになった年になりました。特に春先は試合が続きましたが、自分の勢いが途切れないまま、春先の重要な試合をこなせたことは良かった」とうなずく。世界のレベルの高さを肌で感じた今、目標も高まっている。「これからは12秒7、8台をコンスタントに出す能力が必要だと感じています。国内の戦いを勝ち抜き、これから飛躍するためにも自分の地力を引き上げていく必要があります」。アジア大会が今季ラストレースの予定。「締めくくりにふさわしいよう、今のベストな走りが出来たらと思います」と意気込んだ。
これまでオリンピックや世界選手権も経験してきましたが、それよりも価値があると感じた試合でした。昨年6月に右足の舟状骨を骨折し、今年3月には右足の付け根の骨を移植するために再手術も受けました。2回目の手術の後にはリハビリで歩くことも大変で、普通の生活もままならなったくらいです。歩きたいのになかなか外に出られない日々は苦しい時間でもありましたが、ただそんな中、僕の好きな「世界的なテーマパーク」は苦しみを和らげてくれました。僕には2つの夢があります。1つはオリンピック、もう1つは「世界的なテーマパーク」に関わる仕事をしてみたいというものです。陸上だけでなく、気持ち的に逃げ道があるのが良かったのかもしれません。思い詰めるのではなく、現実からうまく離れることも出来ました。そんな中、6月からジョグを始め、8月末には跳躍練習をスタートしました。この日は1年3カ月ぶりの試合でしたが、会場の雰囲気を感じることが出来て、あらためて当たり前が当たり前じゃないと思いました。(ファンの声援を耳にし)1年も出ていなかったのに、忘れられていなかったと感じることが出来ました。競技復帰を支えてくださった方はもちろん、競技以外の日々の生活を支えてくださった方々に感謝したいです。現時点では2025年東京での世界陸上を目指していますが、チャンスがあればパリ2024オリンピックも狙いたいです。まずは、食事や冬季トレーニングを見直し、自分が出られる試合に出場していきたいと思っています。
髙橋 英輝
世界選手権ブダペスト大会に出場した後は、少し体調を崩してしまいました。今日はいけるかなと思いましたが、レースの途中でわき腹に痛みがでて、思うような歩きではなかったです。ただこの日は(松永選手と)一緒に歩けて良かったなという気持ちが大きいです。松永は今回のラストレースでの飛び出しもそうですが、常に気持ちを全面に出すレーススタイルが感じられて、僕も刺激になりました。そのおかげで僕も一緒に陸上を頑張ることが出来ました。今後の出場レースの計画は未定ですが、11、12月の練習が大事になると思います。そこで次の勝負が決まるとも思うので、体の状態をベストでキープできるかを大切にしていきたいです。
鈴木 雄介
今日の結果を見ても分かるように、まだまだ状態は上げられていません。東日本は良かったですが、今年の夏は暑く、なかなかうまくトレーニングを積めませんでした。練習が全てを物語っている感じです。涼しくなったタイミングでトレーニングを積んで、パリ五輪の代表権を取れるように頑張りたいと思います。(8月の世界選手権を見て)世界のレベルが顕著に一気に上がってきた印象を受けました。(日本勢は)今までは調整を重視してきた流れがありますが、挑戦者の気持ちで海外に臨むマインドや練習方法が必要かなと思います。ただ自分はステージに立てていないので、そのレベルへ一段階上げるつもりでトレーニングを積まないといけないと感じました。(松永選手の引退を受け)年下が引退していくようにもなりました。時代も変わってきました。後輩に負けず、勝てるように頑張りたいと思います。
松永 大介
去年の世界陸上で自分がやりたいレースをして、やりきった思いが大きかったです。自分の中では後悔がありません。99%やりきりました。残りの1%はメダルを取りたかった気持ちがありますが、そこはかなう人とかなわない人がいると思います。(冒頭での飛び出しは)思った以上に後ろがこなかったので、1000mまでずっと前にいました。ファンサービスみたいなものです。何となく終わるのではなく、何か形にしたいと思って、みんながついてこなかった分、目立てて良かったです。(思い出に残るレースは)決められないです。1つ1つがやっぱり思い出です。それぞれのレースに違った楽しさがあると感じていて、僕はみんなに応援してもらえる関東インカレの雰囲気も好きです。オリンピックには国をあげて戦う雰囲気もあって、どの大会も楽しかったです。(今後は週末に母校の東洋大でも指導にあたるが)今後は会社員として勤務して、余裕のある時に大学へ出向こうと思います。
今後へ向けて良い記録がほしかったレースだったので、悔しいです。夏前に体調を崩し、そこで出遅れたこともあって、最後は弱いところが出てしまいました。大学生(順天堂大学)の時とは練習の距離の長さはあまり変わらないと思いますが、質の面が高いと感じています。夏は長野・菅平高原で合宿に参加しましたが、負荷のかかる練習があまりできていませんでした。練習の消化率も7、8割くらいだったので、全てできないといけないと考えています。実業団で半年が過ぎましたが、1つ1つの記録がまず大事で、それが前提にあって戦わないといけないと学びました。今後は東日本実業団対抗駅伝もあります。レースの記録がないとチーム内の戦いでは置いていかれるので、焦りはありますが頑張りたいです。
コンディションは下降気味でしたが、夏の菅平合宿で良い練習が積めました。良いメニューを継続的に取り組めた成果が出ました。私の持ち味はレースの後半からのビルドアップだと思っています。今後の目標は10月のレガシーハーフマラソンです。昨年は3位だったので、より上を目指し、昨年のリベンジをしたいです。その走りを駅伝へとつなげていきたいと思います。
(200mを選んだのは)絶対的なスピードがないと、400mでは戦えないと思っているので、そういう意味も込めてもう少しタイムを出したかったですが、悔しいですね。タイムが悪いです。最初の100mがとにかく遅い。レースではそこで置いていかれては仕方ないので、まだまだ出力が足りていないと思います。400mの世界のトップランナーたちは前半の200mを19秒台で乗せてくるので、まだ満足は出来ないです。もっと速く走れないといけないと思います。(世界選手権ブダペスト大会では400mの日本新記録を打ち立てたが)44秒77で満足出来るのかと言えば、そんなことは全然なく、しっかり44秒前半や43秒を狙っていかないと、来年のパリ2024オリンピックでメダル獲得には届かないと思います。佐藤風雅(ミズノ)選手も世界選手権で44秒88を出しましたが、44秒台を日本のスタンダードに出来るように尽力していきたいと思います。パリ2024オリンピックで決勝に残り、メダルを獲得できるのは、自国やエリア大会で勝つ選手です。そこで足踏みしていては置いていかれるので、アジア大会ではしっかりエリアチャンピオンを取りたいと思います。
スタートの2歩目、3歩目でバランスを崩して、ハードルの1台目へ加速できないまま入ってしまったため、中盤以降は立て直しながら走るレースでした。日本選手権の前後から右の股関節のハマりが悪くなってしまって、リード足を巻き上げて、下から振り上げる動きになっていました。このため、前半はうまく加速ができず、後半に失速するレースが目立ちました。夏の練習では高い位置から踏み切るエクササイズのトレーニングを重ね、ここ2週間で徐々に状態上がってきていると思います。ただ今日は、久しぶりのレースで緊張感もあり、その成果をうまく出すことができませんでした。今の状態を確かめることは出来たので、アジア大会へ向けて改善していけると思います。アジア大会では同じ日本代表の高山峻野選手(ゼンリン)や中国の選手たちが優勝争いに加わってくると思うので、まずは日本選手でトップとなりたいです。そうすれば結果もついてくると思うので、自分のレースをしていきたいですね。
とりあえずレース感を取り戻すことが1つの目的でした。(今夏は世界選手権ブダペスト大会も経験し)世界へ出るとどうしても他の選手に置いていかれるイメージが感覚として刻みこまれているので、そこからちょっとでも抜け出し、自分のペースで走ることをイメージしていました。(今季は)実業団に入ってからの3年間が少しずつ形になった1年です。勢いになった年にもなりました。特に春先は試合が続きましたが、自分の勢いが途切れないまま、春先の重要な試合をしっかり走りきれたことは良かったと思います。これからは12秒7、8台をコンスタントに出す能力が必要だと感じています。国内の戦いを勝ち抜き、これから飛躍するためにも自分の地力を引き上げていく必要があると感じています。アジア大会が今季最終戦となるので、締めくくるにふさわしいよう、今のベストな走りが出来たらと思います。