富士通で競歩界を盛り上げていける存在に
柳井 綾音(競歩)

「苦しんだ」という大学最後の2025年だったが東京2025世界陸上競技選手権大会で20km競歩に出場した。
「次はあなたたちの番」
時代を切り拓いてきた先駆者・岡田久美子さんに言われた言葉を胸に柳井 綾音な富士通でのキャリアをスタートさせる。

■高3で始めた競歩。大学でも続けた先輩からのアドバイス

——2025年はどんな1年でしたか?
「2025年は大学で過ごした4年間のなかで、一番苦しんだシーズンになりました」

——どういう点で苦しかったのでしょうか。
「自己ベストが更新できず、結果を出せないもどかしさを感じていて、やっぱり成長を感じられないときがすごく多かった1年でした。本当にいっぱい考えて、悩んで、それが空回りした1年だったなと思います」

——結果が出なかった要因は、どういったところにあったと考えていますか。
「自分の身体と心が同じではなかったというか。目指す場所があるのに対して、心と身体が一致できていなかったことが一番の原因かと思っています」

——それは身体の状態に心がついていかなかったのか、あるいは精神は充実していたけれども身体のコンディションが追いついていかなかったのか。どちらなのでしょうか。
「両方があるように思います。頑張りたいというときに身体が追いついていないときもありました。一方で、頑張れる身体の状態なのに心がついていかないときもありました。そのようにメンタルがうまくコントロールできないときも多かったので、両面があったと思います」

——柳井選手は大学競歩界でトップを歩んできました。大学最後のシーズンということで、結果を出さなければという思いが重圧になったのでしょうか。
「4回生になり、最高学年というところで、自分は競歩だけではなく、駅伝のチームでも活動をしていたので、昨年は、それこそ2024年に全日本大学女子駅伝対校選手権大会で優勝した次の年だったので、自分たちが引っ張っていかなければいけない立場というところで、空回りしてしまったところもあったように思います。みんなを引っ張っていかなければいけないという気持ちが強すぎて、それに身体が追いつかなかったなという思いはあります」

——男子では、例えば大学生は競歩なら競歩、駅伝の選手は駅伝と、種目が分かれているのが一般的ですが、柳井選手は競歩と駅伝を両立させてきました。それはご自身の意思だったのでしょうか。
「そうですね。自分で両方をやりたいと決めてやりました」

——競歩を始めたのはいつでしょうか。
「本格的に始めたのは高校3年生の春からです」

——高3のころも走ることと、競歩の両方をやっていたのでしょうか。
「そうですね。高3のときはほぼ走りがメインで、競歩の練習は少しだけといった感じで、インターハイを目指して取り組んでいました」

——高3から競歩に取り組んだのはどういった理由からだったのでしょうか。
「高校3年生になるタイミングで、顧問の先生が代わったのですが、その前任の顧問から『2種目にチャレンジしたほうがいい』とアドバイスをもらっていたので、競歩をやるようになりました」

——大学に進んでからも2種目をやり続けるつもりだったのでしょうか。
「実は、大学では競歩をする予定はなく、駅伝だけという気持ちでいました」

——それが大学でも競歩を続けることになった経緯は?
「高校時代は、インターハイで優勝したら(競歩は)やめると決めていたので、数カ月間にはなりますが、大学に入学するまでは一切、競歩をしていませんでした。でも、私の(北九州市立高校の)先輩に藤井菜々子選手がいるのですが、菜々子先輩から『U20というのがあるよ』ということを教えてもらい、一度、チャレンジしてみようかなと思いました。そのU20の大会に出られたことが大きなきっかけになったと思います」

——東京2025世界陸上競技選手権大会(以下、世界選手権)のこともお聞かせください。藤井選手と岡田久美子さんと20km競歩に出場しました。37位の結果でしたがどんなレースでしたか。
「準備の段階でちょっと足を痛めていたので、その状態でまず出られたことが、大学4年間では、世界選手権への出場を目指していたので、すごく良かったです。ただ、合宿中は結構、距離も踏んで、一番練習をしていた1年だったので、そこで結果を残せなかったというのはすごく悔しいです」

——このレースでは藤井選手が日本の女子競歩で初めて表彰台に登りました。藤井選手が銅メダルを取った姿を見て、どんな思いが胸に湧き上がりましたか。
「すごくうれしい気持ちもありましたけど、やっぱり菜々子先輩が入賞されたことによって、自分たちでもメダルや、そういった景色を見ることができるんだなと思いました」

——2026年は日本選手権の種目が新しくなり、ハーフマラソン競歩に出場して2位。梅野倖子選手が優勝して、ご自身は敗れたことを非常に悔やまれていたのが印象的でした。この日本選手権をどう振り返りますか。
「やはり菜々子先輩が不在というのと、岡田さんも引退されて、自分たちが引っ張っていかなければいけない年代になってきたと感じています。そのため、優勝を目指して1月から競歩の練習を再開しました。それから1カ月半、優勝するためにというところを考えて練習してきました。だからこそ、負けたことに対しては、すごく悔しかったのですが、それでもこの4年間のなかで一番いいレースができたかなと思います」

——どういう点で、4年間の集大成を感じられたのでしょうか。
「毎年、この日本選手権は苦戦しているのが課題でした。ペースの変動というか、一気にタイムが落ちてしまうところが原因だったのですが、今回はそのペースの落ち幅を縮められたのと、あとは自分でペースをつくってレースを展開できたところは良かったのかなと思います」

——大学時代を振り返っていただきたいのですが、練習拠点はどこで、どのような指導体制だったのでしょうか。
「練習拠点は立命館大学のびわこ草津キャンパスで、指導者は十倉みゆきさんという長距離のコーチでしたが、練習内容は主に自分で考えながら取り組んでいました」

——メニューは自分で組み立てていたのですか。
「はい。それこそ、菜々子先輩に聞いたり、初めて20km競歩に挑戦する際は、岡田さんにも連絡して、教えてもらったりしました」

——4月から富士通での活動をスタートしましたが、入社前から富士通の練習に参加されていたとお聞きしました。
「合宿には1月の1週目から参加させていただき、そのときから今村文男競歩ブロック長と森岡紘一朗競歩ブロックコーチに指導を受けています」

——自分でメニューを組み立ててやってきた大学時代から、強豪の富士通で今村競歩ブロック長や森岡コーチに見てもらえるようになって、新たな気づきはありましたか。
「気づきというか、一番感じたのは、やっぱり継続力が大切だということでした。大学のときは授業の関係もあり、ポイント練習は1週間に2回程度でしたが、富士通では1週間で3〜4回程度はポイント練習をやるのが当たり前と知って、強度が強めのものを一つやるのではなく、積み重ねていくことが大事なんだなと感じました」

——フォームについては、今村競歩ブロック長や森岡競歩ブロックコーチからどういったアドバイスをもらっていますか。
「フォームに関しては動画を撮ってもらっています。もともと右肩が下がる癖があるので、そこを修正してもらえるような動きづくりだったり、あとは背中周りの動きを柔らかくするように、教えてもらったりしています」

——岡田さんからもアドバイスはもらっているのでしょうか。
「最初の日本陸上競技連盟での合宿時に教えてもらうこともありましたが、今は今村さんや森岡さんに教えてもらっています」

——富士通に入社するに当たっては、岡田さんの存在は大きかったのでしょうか。
「そうですね。大きかったです」

——岡田さんの競歩に対する姿勢からどのようなことを学びましたか?
「岡田さんは競技だけではなく、人としてすごい方だなと思っています。強い選手は人間性の優れた人ばかりで、そのなかでも岡田さんには謙虚な姿勢を感じるので、人間性がものすごく高い方だなと思っています。技術面でも日本のなかでは一番なので、技術のところは、ずっと見て学ばせてもらっていました」

——特に技術面で学んだところはどこでしょうか。
「骨盤の動きと腕振りのコンパクトなところは、まだまだ自分にはできないところではありますが、見習いたいなと思って練習をしています」

 

■次はあなたたちの番。先駆者から贈られたメッセージ

——入社1年目ですが、富士通での意気込みを聞かせていただけますか。
「本当に富士通は世界で活躍されている方ばかりなので、ここで活躍できるように頑張りたいという思いがあります。また、もっと競歩界を盛り上げていける存在になれるようにも頑張っていきたいなと思います」

——富士通は競歩だけでなく、短距離、長距離、マラソンと、さまざまな種目で活躍している選手たちが多くいます。
「本当にいろんな種目で、世界で戦っている方がいます。お互いに高め合える存在がいるチームというのはなかなかないと思っているので、そういった面では本当に恵まれた環境で競技ができることをすごく幸せに感じています。今、そう思えているこの気持ちをずっと忘れずに、富士通で頑張っていきたいと思っています」

——柳井選手は国際経験を着実に積まれていて、2024年にパリで行われた国際大会は、混合競歩リレーにも出場しました。国際舞台の雰囲気はやはり違いましたか。
「その2カ月前にスペインのラコルーニャで行われた国際レースに出場しましたが、そのときに仕上がっていなかった選手でも、パリの国際大会では調整をして臨んでいました。世界選手権以上の気合いを感じましたし、海外勢は照準を合わせて仕上げてくる力も格段に上だなと感じました」

——2028年にロサンゼルスで行われる国際大会に向けて、貴重な経験を積んだとも言えるのではないでしょうか。
「そうですね。ロサンゼルスで上位を目指すためにも、一度、そうした場の雰囲気を経験することができて、自分自身にとっては良かったと思っています」

——ロサンゼルスでの国際大会も、単独種目としてはハーフマラソン競歩。もう1種目は混合競歩リレーがありますが、柳井選手としては、あくまで個人種目で代表入りを目指すことが目標になりますか。
「そうですね。個人種目でも代表入りを目指すのが第一ですが、海外勢は2種目に出場する選手が多く、そういう選手たちと戦うためには、自分にもそのくらいの体力が必要だと思います。なので、自分もできれば2種目での代表入りを目指していけるように、準備したいと思っています」

——ご自身のパフォーマンスをより上げていくために、特に強化しなければいけないと感じている要素はどこですか。
「これまでの4年間は、シーズンごとに駅伝、競歩と分けていましたが、今年は1年間、競歩に専念できるので、まずは基礎からもう一度たたき直したいなと思っています」

——基礎というと、具体的にどういうところをつくり上げたいですか。
「フォームの面も、まだまだ足りない点があるというところと、歩くなかでの体力は走る体力とはまた違うので、そういった面で体力もつけていきたいなと思います」

——コーチ陣からはどのようなアドバイスや指導を受けていますか。
「フォームの面では、足首が弱くて、地面を踏み切れないところがあるので、そういった面を教えてもらって強化しています。あとはやっぱり腕振りについて言われることが一番多いかなと思います」

——腕振りは、どう改善したいのでしょうか。
「右腕が開いてしまう癖があるので、もうちょっと肩甲骨を寄せて、背中で振れるというか、背中で歩けるようにしたいなと思います」

——藤井選手が昨年の世界選手権で日本女子としては初めてメダルを取り、2028年にロサンゼルスで行われる国際大会でも日本女子初のメダルが期待されています。2028年に向けての抱負を聞かせてください。
「ロサンゼルスでメダルを取りたいという気持ちでずっとやってきたので、メダルを目指して頑張りたいですね」

——日本女子競歩界をけん引してきた岡田さんが現役を引退されました。岡田さんから激励の言葉はあったのでしょうか。
「『次はあなたたちの番だよ』ということを言ってもらえたので、本当に自分たちが頑張らないといけないと思っています」