陸上人生の集大成へ向けて突き進む
橋岡優輝(走幅跳)
足の故障を抱えながら臨んだ世界選手権では、予選落ちとなり、虚無感、喪失感、さらには不快感が残り、陸上をやめたいとまで考えた。
2カ月のオフを過ごして——気持ちを新たにした橋岡優輝は負けず嫌いの自分を思い出し、2年後に向けた土台作りを進める。
■状態が上がっているなかで負った2025年5月の故障
——2025年に向けてどんな取り組みをしていましたか。
「2024年シーズンは跳躍がまとまりきっていなかったので、助走と跳躍のバランスをまとめていく作業が中心でした。冬季は順調で、アメリカで教わってきたスプリンター的な動きがだいぶ身体に馴染んできていたので、それを跳躍に結びつけていこうと思っていました。細かなケガはありましたが、徐々に良くなっている感覚はありました」
——ただ、シーズンを通して、その細かなケガに悩まされました。
「そうですね。技術的に『あと少しでつながりそう』と思うところで詰めの甘さが出ました」
——そのなかで、初戦から8m10(第73回兵庫リレーカーニバル)と悪くはなかったですね。
「感覚は悪くなかったのですが、まだ慌てて跳んでいました。もっと良い記録を目指すためには、『このままではまとまりきらない』と感じていましたね。そこからは試合を重ねていき、調子を上げていけば、東京で行われる世界選手権の参加標準記録(8m27)は難なく跳べるだろうと思っていました。ただ5月、クロアチアでの大会で8m00を跳んだときにハムストリングスを肉離れしてしまって。海外でのケガだったので、セルフによる応急処置しかできなかったですし、移動もあったので……。大きなケガではないと思いましたが、日本選手権に間に合うかどうかは、『ギリギリだろう』と感じました。世界選手権に向けては日本選手権を欠場するわけにはいかないので、できる限りの準備をして臨もうと、頭を切り替えました」
——世界選手権(東京)の代表選考会でもあった日本選手権。実際に状態は?
「動ける範囲でドリルをしたり、ウェイトトレーニングも少し重量を抑えたりするなど、やれることをやって臨みました。ただ、跳躍練習までは届かなかったので、本当にギリギリでした。本番で耐え切れるかどうかは、正直、“賭け”でした。2本目で、やはり肉離れを再発してしまって。それでもファウルで8m30くらいまで跳べていたので、ケガさえ治れば世界で戦えるという手応えもありました。日本選手権では4位になってしまい、世界選手権の代表入りは他の選手のその後の結果次第という『待ち』の状態だったので、あとは脚を治すことに集中しました。その後も2試合にエントリーしましたが、ここで無理をしてケガをしてはいけないと思い、2試合目は戦略的に欠場しました」

■「何も考えられなかった」。世界選手権での予選落ち
——世界選手権(東京)について振り返りたいと思います。パリに続いて予選敗退に終わりました。
「僕、出ていましたっけ?(笑) そう思うくらいに悔しかったです。パリもそうですが、僕にとっては決勝に行けなかったら、大会に出ていないのと同じだと思っています」
——2019年の世界選手権(ドーハ)で8位、2021年に東京で行われた国際大会で6位。世界での入賞、さらにメダルを目指せる選手ですから、その思いは当然だと思います。自国開催という特別な舞台での心身の状態はいかがでしたか。
「脚が万全な状態ではなく、不安もありました。前日練習や、予選当日に身体を動かしても少し違和感はあったのですが、思っていたよりは悪くなかったです。日本代表の森長正樹コーチとも『これくらいなら大丈夫』というくらいまでは状態も上がっていました」

——ただ、試合本番ではやはり脚の不安も影響していたのでしょうか。
「メンタルに響きましたね。身体が良くてもメンタルが整わないと本来の力が出せないのだと改めて痛感しました。1本目(7m67)から普段やらないようなミスをしてしまったんです。助走のリズムが良くなくて、走り出してすぐに崩れてしまいました。1本目を捨てるような形になったんです。緊張はするものですが、こういう無駄な失敗はあまり経験がありませんでした。集中力も欠けていたと思います」
——2回目がファウル。3回目に決勝進出ラインの惜しいところまでいく7m95でした。
「2回目で少し走れてきて、3回目で一気に修正できたのですが、想像以上に良くなってしまって助走が詰まってしまいました。これはあくまで“たられば”ですが、1回目でしっかり助走できていれば、2、3回目とうまく修正できたのではないかと思います」
——終わってみて、改めて自国で行われた世界選手権はどんな大会でしたか。
「会場に入ると金縛りのような、今まで感じたことのないプレッシャーがありました。自分では思っていないつもりでも、頭のどこかで『東京』という特別感があったと、今振り返ると思います。そこに脚の不安があったので、悪い方向に行ってしまったかもしれません。それでも、スタジアムの雰囲気は素晴らしいものでした。あれだけたくさんのファンの方々に応援してもらえて、そこは本当に楽しみだったんです。それだけに、予選で敗退してしまった悔しさも大きいですし、満員の観客の前でパフォーマンスを出せれば……という後悔はずっとあります」
——大会後の心境を教えてください。
「終わった後は何も考えられなかったです。日が経つにつれて、虚無感、喪失感が大きくなっていきました。テレビやSNSも見ず、世界選手権の情報もシャットアウトしました。結果についても、しばらくしてから知ったくらいです。パリのときと比べるものではありませんが、そのときは本当にケガで仕方ないと思えるような状態でした。東京での世界選手権はもう少し違うアプローチの仕方もあったのではないか、予選で落ちるほどの状況ではなかったはず、という気持ちがあって。東京のほうがより“不快感”が残ります。陸上をやめたい、とすら思いましたから……」

■基本に立ち返って感覚を取り戻す
——オフ期間もリスタートを切るための大事な時間になったのではないですか。
「そうですね。2カ月くらいオフを取りました。ここ数年は世界大会がずっと続いていたので気を張っている状態でした。そこがほぐれた途端、一気に疲れが出て、『よく頑張ったな』と思いました。ジュニア時代から一緒に過ごすことの多い選手たちとは、毎オフ出かけています。昨年のオフには、ゴーカートに乗って、サウナに入って、ご飯を食べました。彼らは仲間でもあるし、種目は違うけどライバルでもある。普段からあまり競技の話はしなくて、他愛もない話題ばかりですが、ただ遊ぶだけでも気分転換になるんです。他にも大阪万博にも行きましたし、福岡、長崎に旅行して、友人と釣りをして遊びました。また、オフの最後のほうには、両親(父・利行さんは棒高跳、母・直美さんは100mハードルと三段跳で、ともに元日本記録保持者)と、一緒に初めて陸上教室を開催しました。子どもたちがすごく楽しんでくれて、うれしそうに身体を動かしてくれたのが本当にうれしかったです。そうした活動は、今後も継続してやっていきたいと思っています」
——オフを経て冬季練習を過ごされたと思います。まず、ここ数年のケガについて、どんな原因が挙げられるのでしょう?
「2022年の秋からアメリカを拠点に活動して、スプリントを磨いてきました。そこが身体に馴染みきっていないところだと思っています。出力を上げるところで、もともと持っている感覚とのズレが出て、つなげようとすると変なところに負荷がかかってしまってケガをしているのではないかと分析しています。走りの面で、以前は膝下を振り出す動きがあったのですが、それを無理に抑えようとすると、腰が低くなって脚を引き込んでこようとするのですが、そうするとハムストリングスの下の膝に近いほうに負担がかかります。その結果、毎回、同じような箇所を痛めていました。アメリカでの練習に少し偏り過ぎていたのかもしれません。助走でも、本来の持ち味でもあった反発をもらっていくような走りではなく、地面の表面だけをとらえて脚を回していたようになっていました。身体のキレ味があっても、芯があるような動きではなかったと思っています」
——そのなかで、新シーズンに向けてどのようなテーマでトレーニングされたのでしょう?
「まずは基本に立ち返ることがテーマでした。この冬はアメリカに戻らずに、走りに偏り過ぎて崩れていた部分を、もう一度ドリルから見直しました。自分の感覚を作り上げようと取り組んでいます。例えば高校時代にやっていたドリルを組み入れたり、練習メニュー自体はアメリカでやったところもベースにしつつ、本数や設定タイムなどを少し抑えて身体の感覚を意識したり。やってみて、『まだ時間はかかるな』という感じです。良い動きができても、身体の調子に左右されてしまい、疲労が溜まるとポイントを意識できなくなってしまいます。そのあたりの安定性は求めていきたいです」
——アメリカに渡ってから苦労された部分もあります。それも必要な過程、だと?
「もちろんです。少しずつ結びついている感覚があります。まさか形になるまで4年ほどかかるとは思っていませんでしたが(苦笑)」

■「集大成」に向けて自分を見つめ直すシーズンに
——今季の目標、そして中長期的な目標を教えてください。
「まずは2028年のロサンゼルスを見据えて過ごしていくことになります。ただ、まずはこの1年は『自分を見つめ直す』シーズンにします。冬にやってきたことが、シーズンが始まって出力が出たときにどうなるか、試合ではどう再現できるのか。試合でもいろいろ試していくことになります。何かに追われるようなことはないので、伸び伸びしながらも記録を狙っていきます。シーズン前半は日本選手権でしっかり勝つことと、愛知で行われる大会の代表を決めるのが一つの目標です。来年の世界選手権(北京)、そして、その先にあるロサンゼルスではしっかり勝負をしたい。気持ち的には世界大会がないので余裕はありつつ、2年後の土台を作るための試行錯誤として大事な1年になります」
——パリ、東京での世界選手権が終わり、陸上をやめたいと思うほどの悔しさから、それでも、前を向かれています。
「このまま逃げるのは簡単です。でも、僕は負けず嫌い。世界選手権で喜んでいる選手たちの顔を見ると悔しさが増してきます。ここから数年は陸上人生の集大成。“全員、を圧倒するんだ”くらいの思いで取り組んでいきます」
(取材・文/向永 拓史/月刊陸上)


