富士通のユニフォームに恥じない走りを
小川 大輝(400mH)

ハードルの選手だったという兄の影響と監督の勧めもあり小川大輝は高校生になると、自身も400mハードルに挑戦した。
東洋大学時代には2023年に日本陸上競技選手権大会で優勝すると、2024年にパリで行われた国際大会に出場し、2025年の世界選手権大会も経験。

富士通に入社した今後は、2028年のロサンゼルスを目指す——。

兄の影響と高校の監督の勧めでハードルに挑戦 

——富士通に入社を決めた理由を教えてください。
「陸上を始めたころから、日本選手権などをテレビで見ていて、白い富士通のユニフォームがとても印象に残っていました。ずっと憧れていたチームですし、東洋大学の先輩であるウォルシュ ジュリアン選手や中島佑気ジョセフ選手が所属していたこともあり、より一層『富士通の一員になりたい』と思うようになりました」

——中島選手とは富士通の陸上競技部について話していましたか。
「一緒のチームで走りたいという話は何度かしていました。富士通に決まったと伝えたときは、とても喜んでくれて、それがすごくうれしかったです」

——富士通といえばハードルの選手が強いイメージがあります。
「自分のなかでもハードルのイメージはとても強いです。ハードルで世界を目指すうえで、非常に恵まれた環境だと感じています」

——富士通のユニフォームを着て走る自分の姿は想像できていますか。
「正直、まだあまり想像はできていません。不安もありますが、それ以上に楽しみな気持ちのほうが大きいです。富士通は本当に強いチームだと思っているので、そこに恥じない走りをしなければいけないという責任は感じています。今まで以上に結果が求められると思うので、頑張っていきたいです」

——小川選手が陸上を始めたのはいつでしょうか。
「本格的に始めたのは中学1年生からです。小学生まではサッカーをしていました。サッカーを続けながら、体力づくりの一環で、陸上や駅伝にも取り組んでいました。中学で陸上部に入る際、顧問の先生から『陸上部に入るならサッカーをやめなさい』と言われたことが陸上に絞ったきっかけです。兄も陸上をしていたので、当時は軽い気持ちで始めました」

——最初は何の種目をしていましたか。
「もともとは長距離が得意でしたが、トラックを1周走るごとに次の周に行くのが辛く感じてきて、どんどん短くなって400mまで短くなりました。もともと、得意なのは長距離でした」

——なぜ、高校でハードルを始めたのですか。
「兄が高校で400mハードルを始めた影響です。当時の監督に勧められて、自分もやってみようと思いました。ハードルは普通に走るよりも動作のバリエーションが多く、楽しいと感じていました。110mハードルは高くて跳べないので、あまりやっていません」

——400mハードルに本格的に取り組むことを決めたきっかけは?
「高校3年生のインターハイの東海地区大会で、400mでは決勝に行ったのに足が痙攣してしまい出場できませんでした。一方で、400mハードルではインターハイに出場し入賞することができました。そのときに、自分には400mハードルの方が向いていると感じました」

——東洋大学に入学後、大きく記録が伸びた理由は何だと思いますか。
「400mハードルをする以上、400mの走力が重要だと考え、フラットの400mの練習を徹底して行いました。ジュリアンさんやジョセフさん、吉津拓歩(東洋大卒/現・ミキハウス)さんたちと練習して、毎回高すぎるぐらいの質の練習だったので、それで意識がどんどん変わっていきました。あまり400mの試合には出ていないですが、大学の間に1秒ぐらいはタイムが上がっていると思います。東洋大の梶原道明監督が出してくださるメニューも自分に合っていたので走力が向上し、さらにハードルの精度も上がったことで一気に記録が伸びたと思います」

——大学時代は1学年上に、日本歴代3位の記録を持つ豊田兼選手(慶應大卒/現トヨタ自動車)という強力なライバルもいました。
「上級生でしたが同じ大学生として絶対に負けられないと思っていましたし、同年代でああいう強い選手が出てきたことで、自分がもっと頑張るきっかけになりました。これからも切磋琢磨してタイムを上げていけたらいいなと思います」

 

■2つの国際大会で感じた世界との差を埋める挑戦

——世界を意識し始めたのはいつごろですか。
「大学1年生のときにU20世界選手権に出場したのが大きな転機です。同世代でこんなに速い選手がいるんだと不思議な感覚になって、本気で世界を目指そうと思うようになりました。また、大学2年のときに日本陸上競技選手権大会(以下、日本選手権)で優勝できたのはラッキーだったと思うのですが、そこでメンタルが強くなって、大舞台でも緊張しなくなりました」

——その後も、日本選手権や日本学生陸上競技対校選手権大会で優勝し、大舞台で勝負強い印象があります。
「練習から試合をイメージして走るということは当たり前にやっていますし、試合になったらもう『イケイケのマインド』というか、自分が勝つレースプランをずっと想像しています。不安がなくなるというより、本当に自分が勝つイメージしかしていないので、そういう日ごろのイメージの積み重ねが、自分の勝負強さにつながっているのかなと思っています」

——400mハードル選手としてのご自身の強みはどこだと思いますか。
「前半のスピードはそこまであるほうではないのですが、そこからタイムを落とさずに最後まで走り切れるところが強みだと思っています。最後はどうしてもきつくなってくるんですけど、そこを落とさずに粘ることで、後半に他の選手との差が出て、そこで勝てるというのが自分の強みです」

——2024年にパリで行われた国際大会と2025年の東京世界選手権という2つの国際舞台はどんな大会でしたか?
「大学生のうちに世界大会に2回出られたのはとても良い経験でしたが、どちらも予選で敗退して、出るだけで終わってしまった悔しい試合でした。結果を残してこそステップアップできると思うので、この経験を活かして、今後は世界の舞台で結果を残せる選手になりたいです」

——9月の世界選手権では、ラストスパートまで海外勢との勝負に参加できました。
「世界の舞台では前半のスピード感が本当に違って、そのなかでどれだけ自分のレースを落ち着いてできるかが勝負だと思っていました。予選通過ラインも自分のレースをすれば届くタイムだったのですが、周りの雰囲気に圧倒されて自分のレースができませんでした。東京での開催だったので、絶対に出たいという気持ちが強かったですし、応援してくれる家族や友人の前で結果を出したかったです。そのなかで、最後まで勝負に絡めそうだったという感覚は収穫だと思っています」

——普段の大会と、世界大会では何が一番違うと感じましたか。
「自分のレースをさせてもらえない感覚があります。試合前の雰囲気から独特で、気持ちがどんどん昂ってしまい、前半から突っ込みたくなるような状態になります。海外選手の体格や言語の違いにも圧倒されました」

——他の選手ともその感覚について話しましたか。
「大会から帰るバスのなかで、他種目の選手とも話して、『何で世界大会になると普段通りできないのかな』という話になりました。東洋大の土江寛裕コーチに相談したところ、『経験を積むか、何も考えずに走れるようなメンタルを持つかのどちらかしかない』とアドバイスをもらいました」

——世界選手権での悔しさを、この冬はどう活かしていますか。
「体格差を感じたので、それをどう補うかを考え、筋持久力と上半身の筋力強化を中心に取り組んでいます。練習の基本的な内容は変わっていませんが、ポイントごとに少しずつ変えています。これまでのところ、筋力は上がっている実感がありますが、筋持久力は試合にならないと分からない部分ですね。富士通に入社後も大学を拠点に練習を続けていくので、そこで調整していきたいです」

——400mハードルは、レースパターンも選手によってさまざまです。これから変えていく可能性はありますか。
「これから走力をハードルに落とし込んでいく段階なので、歩数やレースプランは今後調整していきます。冬の間にストライドが伸びたのか、ピッチが上がってきたのかを確認して、ハードルの間を何歩で走るかは決めていきます。この時期は自分が速くなっているのか分からず不安もありますが、感覚としては整ってきています」

——現在はハードルの間を14歩で走っていますが、今後13歩にする可能性はありますか。
「自分も13歩でもできるのですが、タイプとしては14歩でリズムよく楽に走ったほうがいいと監督に言われています。これからストライドがもっと伸びてきたら、13歩にすることも考えるかもしれません」

——シーズン中、競技以外でのリラックス方法はありますか。
「外に出ると疲れるので、休日は次の日の練習のために身体を休めています。本当は旅行に行くのが好きなのですが、シーズン中は陸上にかけています」

——今季の目標は?
「タイムとしては、48秒台の前半は出したいです。そして、今年の愛知のアジア選手権に出場して、メダルを獲得することです。愛知県出身なので、会場のパロマ瑞穂スタジアムは中学時代から走っていた会場で思い入れがあります。友人はチケットをもう買っていて、応援に来ると言ってくれています。日本選手権も同じ会場で行われますし、選考に直結する非常に重要な大会です。まずはそこにピークを合わせて、優勝したいです」

——競技人生の最大の目標はありますか
「世界選手権などの国際大会の決勝で戦うのが自分の最大の目標になります。2028年のロサンゼルスで、それを達成できたら最高ですね」

(取材・文/加藤秀彬・朝日新聞社)