決勝を経験して目指すメダルの色が明確に
中島 佑気ジョセフ(400m)
2025年9月18日——国立競技場の舞台で決勝を走り終えて
中島 佑気ジョセフが思ったのは「やり切った」ではなく「悔しさ」だった。
ただ、あの舞台を経験したことで、より目標は明確になり、
目指すメダルも色に定まった。
“金”を目指す2028年へとつながる2026年の挑戦が始まる。

■自分を見つめ直したことが自信と結果につながった
——東京2025世界陸上競技選手権大会(以下、世界選手権)では、男子400mで6位入賞を果たしました。大会後の反響はいかがですか。
「今までの大会とは全然違いました。それはやはり、結果を出せたことが大きいと思います。初めて世界選手権に出場した2022年オレゴン大会の1600mリレーでの4位が転機になり、個人でも結果を出したいという思いが強くなりました。決勝進出という目標を東京で実現できて、多くの方に見てもらえたことは非常に価値があったと思います」
——オフはメディアに引っ張りだこでした。
「ありがたいことに、世界選手権の反響もあって、いろいろな方面から声を掛けていただきました。テレビ、雑誌など、さまざまな媒体に出演させていただき、とても良い経験ができたと思います」
——印象的だった仕事はありますか。
「ファッション誌の『GQ JAPAN』の撮影で、ラグジュアリーブランドや高級時計を着けて撮影するのは、とても新鮮でした。普段は着ないようなブランドの服を着ることもできましたし、編集の仕上がりを見て『こんなにかっこよくなるのか』と驚いたのを覚えています」
——雑誌に掲載された反響はいかがでしたか。
「東洋大学の梶原道明監督も見てくれていてうれしかったですし、母からも『見たよ』と言われました。母は特に『家庭画報』で着物の撮影をしたことを気に入ってくれました。母は着物に関わる仕事をしているので、自分が本格的な着物を着たことがうれしかったようです」
——メディアへの出演については前向きに取り組まれていますか。
「抵抗は全くないです。もともとアルバイト感覚でモデルをやっていたこともあり、撮影も好きです。憧れていたブランドを着られるのは楽しいですし、テレビなどで自分の伝えたいことを発信するのは、競技以外でも大事なことだと思っています。そういった活動は前向きに捉えています」
——メディア出演では「富士通」の名前を発信していくという意識もあるのでしょうか。
「あります。日本代表の試合では代表のユニフォームしか着られないので、日頃支えていただいている会社のことを別の形で発信するのは大事なことだと思っています。富士通の陸上競技部は、歴史的にも日本の陸上競技を支えてきた存在なので、社内だけでなく外にもアピールしていく責任を感じています」
——2025年度は世界選手権で結果が出ましたが、シーズン序盤は苦労しました。
「春先はかなり苦しく、肉離れや肺炎、疲労骨折もあってレースを辞退せざるを得ませんでした。ただその分、自分を見直すきっかけになり、本当に必要なものに集中できました。結果的に8月の富士北麓ワールドトライアル2025で44秒84を出して参加標準記録を切れたことで、『どんな困難な状況でも立て直せる』という自信になりました」
——ケガがあったなかではどのように練習していたのですか。
「スピード練習が抜けてしまい、距離を踏むこともできませんでした。だから、『1本の質』と『レース戦略』に集中しました。自分は後半型のレースが強みなので、前半のスピードにこだわらず、後半で勝負できる戦略を作ることに注力しました」
——不安はなかったですか。
「ありましたが、梶原監督の指導を信じて取り組みました。スピードや距離の不安には目を向けず、身体の動かし方やレース戦略に集中しました」

——そのレース戦略とは?
「250mまでを一定のリズムで走り、最後の150mで切り替えるイメージです。世界選手権前は、練習で250mを26秒中盤くらいで走っていました。かなりリラックスして、省エネで走る感覚です。世界選手権では、練習でやってきたそのペース配分がそのまま出せた感覚があります」
——世界選手権では、かなり極端な後半型になったことに驚きました。
「意図的にそうしたというより、結果的にそうなりました。ケガのあとに時間がなかったので、自分の強みに全振りした結果です。8月下旬の第20回トワイライトゲームスで走った感覚が良く、『前半で無理をしなくても後半で戦える』と実感できたことが大きかったです」
——世界選手権では予選、準決勝、決勝と3本とも44秒台で走りました。走り込みが多くなかったなかで、なぜできたのでしょうか。
「予選でいいイメージを持てたのが大きかったです。予選で44秒台を出して、『同じようなリズムでいけば準決勝も戦える』と分かったので、無理にギアを上げるのではなく、現状維持でポイントを押さえていけばいいという感覚でした。その結果、準決勝で周りがタイムを上げてくるなかでも自分の力をうまく発揮できると分かり、精神的な負担が少し軽くなりました。ただ今後、メダルを狙うとなると、決勝では予選や準決勝とは違う戦い方や柔軟な対応が必要だと感じました」
——メダルを取るには、決勝では前の位置で勝負する必要があると?
「決勝では簡単にライバルの走りが崩れることはありません。後半型のレースをするとしても、ホームストレートに入る時点で先頭と3mぐらいの差に収めないと厳しいと感じました」
——決勝でゴールした直後はどんな思いでしたか。
「やり切った感はあまりなくて、悔しさが一番大きかったです。決勝は少し不本意なレース内容になってしまいました。出場決定がギリギリではありましたが、大会前からメダルを狙いたいという気持ちがありました。地元開催で国立競技場という慣れた環境でもありましたし、大会前の動きも良かったので、決勝進出だけでなくメダルを目標にしていました。準決勝で2着を取れたことも自信になりましたし、他の組のタイムを見ても『みんな消耗しているな』と感じていたので、決勝で戦える土台はあると思っていました。それだけに、メダルに届かなかったのは悔しかったです」
——世界大会での準決勝や決勝前はどんな雰囲気でしたか。
「準決勝は、決勝に進むか敗退するかが決まるので、ピリピリしていました。一方、決勝はもう次がないので、どこか互いをリスペクトし合う雰囲気がありました。予選と準決勝が非常にハイレベルで過酷だった分、『ここまで来た決勝の8人で頑張ろう』というような空気も感じました。メダル争いは実力だけでなく、最後は運の要素もあると感じています。海外の選手は『神様が味方するかどうか』というような感覚もあるのかな、と。決勝はとても神聖な雰囲気でした」
――世界選手権を終えて、次の目標は変わりましたか。
「決勝を経験したことで、次はメダル、そして金メダルという目標がより明確になりました。あの舞台で、疲労のあるなかでもすべてを出し切る感覚を経験できたことで、準決勝止まりから、さらに上を目指す実感が持てたと思います」

■次の国際大会は勝ち切る安定性が問われる大会になる
——この冬はどんな取り組みをしてきましたか。
「まずは世界選手権でできた動きを身体に定着させることを最優先にしました。その上で、去年できなかったジャンプトレーニングやスピード強化を取り入れながら、自分の動きがどう変わるかを俯瞰的に見ています。最初から方向性を決めるのではなく、去年の土台をベースに柔軟に試しながら最適な動きを探っています」
——タイムやレースプランから逆算する形ではないのですね。
「43秒台を出したいという目標はありますが、レースプランは柔軟に考えています。今年は後半型にこだわらず、いろいろ試して、来年につなげたいと考えています。例えばダイヤモンドリーグなどの海外レースで、前半から飛ばす選手がいれば、そこについていくことも試してみたいです。トップレベルのレースでいろいろな経験をして、自分の新しい可能性を発見したいと思っています」

——現在や今後の拠点は?
「冬季はずっと東洋大で練習してきて、オーストラリアで東洋大(の選手たち)と合宿を行いました。春に1カ月だけカリフォルニア大学ロサンゼルス校に行き、現地の選手とトレーニングします。高い競争環境のなかで1カ月間練習をして、スピードを上げていく予定です。シーズン中はヨーロッパの大会に出場することが多いと思いますが、基本的には東洋大を拠点にします」
——話は変わりますが、趣味の読書では最近はどんな本を読まれていますか。
「オーストラリアの合宿にも本を持ってきています。最近は、ドストエフスキー関連の本をよく読みます。今読んでいる『ドストエフスキイの遺産』という本は、彼の信仰に焦点を当てていて、キリスト教の背景を知ることで作品の理解が深まるので面白いです。キリスト教は西洋文学全般にも影響が大きいので、そこを理解しないと、ドストエフスキー作品の内容を半分しか理解できない感覚があります」

——宗教を学ぶ意義をどう考えていますか。
「好きな作家をより深く理解したいという思いがあります。また、現代社会やアメリカ政治などにもキリスト教の影響があるので、多文化理解にもつながると感じています。自分の父がキリスト教徒で、ナイジェリアのルーツもあり、身近な文化として関わりがあることも理由です。私自身は無神論者ですが、宗教的なテーマには関心があります。極限状態での思考や精神に関わる部分があり、アスリートとしても興味があります」
——本は電子版ではなく、紙派のようですね。
「電子書籍はあまり使いません。紙の質感やカバーに愛着があるので、紙じゃないと読んだ感じがしません。今は、新しい本棚を新しく買わないといけないぐらい増えていますよ」
——将来的に自分で本を書く可能性はありますか。
「興味はありますが、まだ文章力が足りないと感じています。人に読んでもらうにはもっと多くの本を読む必要があると思っています。書くとしたら、小説ですね」
——今年の最大の目標を教えてください。
「一番の目標は、9月にハンガリーのブダペストである世界陸上アルティメット選手権出場です。その経験が、来年以降の世界選手権やロサンゼルスにつながっていくと思います。そのうえでは、ダイヤモンドリーグやダイヤモンドリーグファイナルも重要になります。愛知開催の国際大会はアルティメット選手権の2週間後なので、記録やパフォーマンスよりも、疲労があるなかで勝ち切る安定性が問われる大会だと思っています」
(取材・文/加藤秀彬・朝日新聞社)

