荒井広宙に聞く
17年間の競技生活で知った競歩の奥深さ
自分にとって競歩は白米のようなもの
2022年9月に引退した荒井広宙に、「現役生活を振り返り、競歩について語って欲しい」と依頼したところ、オンラインでの取材に応じてくれた。その登場時、画面に表示された名前は“FJJ 事務局”。それは荒井が所属する富士通ジャパン株式会社の顧客向けセミナー用のプロフィールだった。
「今は富士通のさまざまなサービスのオンラインセミナーをしている部署で仕事をしているんで、そのままになっていましたね。覚えることが多くて毎日、必死ですよ」
日本競歩界初のオリンピックメダル獲得者は、今、社業に邁進している様子だ。
高校時代から始めた競歩で、17年に及ぶ競技生活を送り、昨年、終止符を打った。自分でもここまで長く続けるとは考えていなかったという。続けられた理由は「競歩が毎日食べる白米のようなものになっていたから」だと振り返る。
「大学2年で指導者を変えた時に、“絶対に納得する形で競歩をやり切ろう”と覚悟を決めたんですよ。それからは競技中心の生活が当たり前になりました。次第に競歩が自分にとって毎日食べる白米のようなものになっていきましたね。食べて当然、歩いて当然という感覚でした」
2011年のテグ世界選手権以降、日本代表の常連となり、2016年リオデジャネイロでのオリンピックで銅メダル獲得、さらに17年のロンドン世界選手権では銀メダルを取った。大舞台でのハイレベルな安定感が、荒井の真骨頂だった。
「実力で劣っていても、常に100%の力を出していれば何とか戦えると思っていました。練習は誰でも頑張るものなので、それ以外の時間で差がつくと考え、競技以外の部分を重視していたんです。そのためいかに万全の体調を整えるかを最優先に考えて、生活していました。自己管理能力はあったと思います」
現役時代を通じ、一度も失格がなかった安定した歩型も荒井の武器だった。
「特別、歩型が良かったとは思っていません。それにフォームは日々、変わっていくものです。今日、調子が良くても、明日になれば感覚が大きく変わってきてうまくいかないこともある。フォームもレースに向けて仕上げて、ピークを作るものなんです」
フォームに完成形はない。ずっと状態がいい時が続くこともなく、イメージと現実とのギャップに悩む場面も多かった。しかしそこから逃げず、向かい合い続けたられたからこそ、安定したパフォーマンスを発揮できたのだ。
多くの人に歩く楽しさを伝えたい
競歩の面白さを聞かれるたびに、「自己探求できる競技だから」と言い続けてきた。
「練習時間も長いので、一人で歩いていると自分と対話し続けるようになります。感情と向き合ったり、体の調子を見たりすることで自分の毎日の変化に気付くし、その理由を考えるようにもなります。最終的には競歩に向き合うというより、自分自身に向き合っていた気がします。そこが面白かったですね。」
最終的に気付いたのは競歩とはどんなに突き詰めても、答えがない種目だということ。17年続け、世界のトップを争うまでになったが、競歩も自分自身も分からなかった。「無知の知を知りました」と笑う。
だが自己探求を続ける中で、荒井の心には大きな財産が生まれた。
「競技人生はひとつの物差しとして、自分の中に残っています。今は社業に入り、“自分はまだ何もできないな”と感じながら仕事をしていますが、競歩をはじめた時もまさにこの感覚でした。でも技術が上がっていくにつれ、楽しくなっていったことを経験していますので、仕事もこのまま頑張れば、きっとできるようになるだろうと思えるんです。競技と社業を置き換えて考えられるのは、競歩を突き詰めて取り組んだ結果だと思っています」
引退後は競歩の普及活動にも携わっている。現役選手は競技に集中している分、自分がその役目を果たしたいと意欲的だ。
「スピードを競うならば走ればいいのに、あえて歩きで競争するというのがヘンテコで面白いですよね。そしてその歩き方にもルールをつくって縛ってしまうところも面白い。でもだからこそフォームにも個性が生まれます。柔らかいフォームの選手、バネがあって硬く弾むように歩く選手など動きに注目していただくと、競歩がより楽しめますよ」
そして見るだけでなく、多くの人に歩いて欲しいと思っている。
「走るのは難しくても、ウォーキングならできるという方は多くいます。人間はもともと狩猟や農耕をしていたので、体を動かすのが基本です。私も毎日、始業から終業まで座りっぱなしのデスクワークとなり、脚の筋肉が目に見えて落ちましたが、それではダメですね。心身の健康のために、ぜひ多くの方に歩いていただけるよう、自分の経験を伝えていきたいです」
歩き出すと心拍数が適度に上がり、気分が良くなるし、自分なりの歩きの動きがハマれば、どこまでも歩いていけるような錯覚を覚える瞬間があるという。
景色を見ながら、会話を楽しみながら。そんなウォーキングを広めていきたいそうだ。