鈴木雄介コラム:世界一からどん底へ。空白の2年9ヶ月間、鈴木雄…
コラム:鈴木雄介を支えた仲間とコーチ~栄光への歩みと2つの涙(前編)
2019年9月28日、カタール・ドーハで行われた世界選手権50km競歩。鈴木雄介は4時間4分20秒で優勝を飾り、目標としていた念願の世界タイトルをついに獲得。2020年、競歩日本代表候補に内定した。20km競歩で世界記録を樹立し、話題をさらったのが2015年。その後、長い期間負傷に悩まされ、一時は引退も考えた。しかし、周囲のサポート、ファンの声に支えられて見事に復活。一歩ずつ着実に、夢見たメダルに向けて歩みを進めている。人を愛し、人から愛された才能。鈴木が踏みしめてきた道、そして目指す未来とは。
2年9ヶ月ぶりの復帰戦後に紡ぐ言葉
その瞳には、うっすらと涙がにじんでいた。
2015年3月、全日本競歩能美大会20km競歩で、1時間16分36秒の世界新記録をマークした鈴木雄介。日本男子陸上界にとって世界記録更新は、実に50年ぶりの快挙となった。その期待を背負い挑んだ2015北京世界陸上。結果は、恥骨炎の影響から11km付近で途中棄権。その後は長期でリハビリ・治療に取り組むことになる。世界一の座を勝ち取った男は、心身ともにどん底まで落ちたのである。公式戦に復帰できたのは、怪我から2年9ヶ月が経った2018年5月。埼玉での東日本実業団陸上競技選手権、5000m競歩だった。久々の実戦ながら5位に食い込むと、ゴール後に安堵の笑顔を見せた鈴木。その後、スタジアムのコンコースで話を聞いた時だ。「負傷していた期間、支えになったものは?」と聞くと、辛かった時期を振り返り、言葉を紡いでいく。「この長いリハビリ期間、競技を辞めたいと思った時期もありました。ただ、周りの仲間やスタッフのサポート、ファンの皆様から復帰を待ち望んでいただけたこと、私を信じていただけたこと、その言葉が心を支える一番の柱になりました。その期待に対して、皆様が思い描く以上の鈴木雄介を見せていきたい」その言葉には、鈴木本人の本当の心の声が映し出されていたように思う。
家族のような仲間に恵まれて
この復帰に向けてなくてはならなかったのが、仲間とコーチの存在だったと言えるだろう。たくさんの日本代表選手を抱える、富士通陸上競技部。その中でも競歩ブロックは、日本最高峰の選手層を誇る。鈴木がその一員となったのは2010年4月。当時は年も近く、同じ世界大会を目標とするメンバーが揃っていたため、その陣容はひとつの家族のようにも見えた。同じ順天堂大学から富士通に入社し、鈴木が「ずっと超えたいと追いかけてきた先輩」と慕う森岡紘一朗が長兄(当時は“外さない男”と呼ばれていた)。2011年から日本選手権3連覇を果たす、大利久美が姉(キャラ的に妹?)。姉御肌の日本女子競歩の第一人者、川崎真裕美が長女(後に結婚して本当に温泉旅館の女将になってしまうところが面白い)。そんな仲間に囲まれ、鈴木は将来を嘱望される末っ子としてキャリアを歩み始める。その後も時を重ねる中で、弟ができた。ラストスパートのスピードを武器とする髙橋英輝、若いころから世界大会を経験して実績を残してきた松永大介。強力かつ、刺激しあえるライバル達が常にそばにいた。その存在は失意の鈴木にとって、図りしれないほど大きかったであろう。
コーチとの絆「今村さん以外に教えていただくことは考えられなかった」
そして、もう一人大きな影響を与えたのは、今村文男コーチの存在だ。1990年代、日本の男子競歩を世界レベルに押し上げた先駆者は、富士通陸上競技部競歩ブロックのコーチを務め、日本陸連の競歩ブロック部長も兼任。日本代表選手をまとめる責任者でもある。先の家族構成で言うなら、父だろうか(確かにとてもダンディーである)。鈴木雄介は、日本でも競歩が盛んな土地、石川県能美市生まれ。“成り行き”で中学生1年の時に大会に出て2年生から本格的に競歩を始めた。学年は違うが高校時代はライバルとして同等の実力を持っていた森岡選手の背中を追い、「他チームで戦うより、同じチームで練習して吸収して勝ってやろう」と考え、順天堂大学へ進学。そこで学外コーチをしていた今村の指導に触れ、富士通入社を強く希望した。「今村さん以外に教えていただくことは考えられなかった。富士通以外は目に入らなかったです」と、今村コーチに絶大の信頼を寄せる。その後、順調に力を伸ばした鈴木は、世界大会にもコンスタントに出場。特に記憶に残っているのが、2014年に中国の太倉で行われた第26回ワールドカップ競歩である。「初めて世界と渡り合えたレース。モスクワ世界陸上でも記録を出せなかった中、そのレースでトップ争いをして4位に入ったのは大きな自信になりました。結果やレースの風景・雰囲気まで覚えているぐらい印象的な大会」と挙げる。以降も数回の日本記録更新を重ね、ついに2015年、世界記録に届くまで成長。その瞬間には、今村コーチに向けて以下の言葉を残している。「一番お世話になったのは今村さんですね。迷惑掛けたことも多々ありますし、お互いヒートアップして意見をぶつけあったこともあります。でも、それがあったからこそ、飛躍的な成長につながったと思う。お互い理解しあえたことで、良い関係を築けていると思います」
「これからも自分を高めていきたい」、その強さの源
良い仲間と、信頼できるコーチ。その関係性は鈴木を大きく、強くした。彼らの存在がなければ、長期負傷からの復活もきっとなかったであろう。2018年、埼玉での復帰戦後。鈴木は、こうも続けている。「前日から懐かしい面々に会い、試合でみんなと再開できたのは懐かしかったですし、楽しかったです。ここでみんなと一緒に歩けることに、本当に幸せを感じました。これからも自分を高めていきたい」人間、誰でも順風満帆では生きていけない。しかし、その時にどんな行動をとるのか、どんな人が周りにいてくれるかが、その後に関係するのは間違いない。浮き沈みを経験し、その度に周囲とのつながりを実感してきた鈴木雄介。そして身に着けた、アスリートとしての信念が、彼をより高いステージへと導いている。
鈴木雄介(すずき ゆうすけ)
1988年1月2日生まれ、石川県出身。 中学校時代より競歩を始め、順天堂大学を経て2010年富士通入社。 2015年3月15日開催の第39回全日本競歩能美大会 兼 Asian 20km Race Walking Championships in NOMIにて1時間16分36秒の世界記録を樹立。競歩では日本人初の快挙となった。
《自己記録》
5000mW 18分37秒22(日本記録)
10000mW 38分10秒23(日本歴代3位)
20kmW 1時間16分36秒(世界記録)
50kmW 3時間39分07秒(日本歴代3位)
《主な戦績》
2010年 アジア大会(広州)20kmW 5位
2011年 世界陸上(テグ)20kmW 8位
2012年 ロンドンオリンピック20kmW 日本代表
2013年 世界陸上(モスクワ)20kmW 日本代表
2014年 アジア大会(仁川)20kmW 2位
2015年 世界陸上(北京)20kmW 日本代表
2019年 世界陸上(ドーハ)50kmW 優勝