日本を代表するランナーへの一歩
伊藤 蒼唯(長距離)

駒澤大学では学生三大駅伝を9回走り、区間賞2回を誇るなど、安定したレースを見せた伊藤 蒼唯が、富士通陸上競技部への入社を決めたのは、「強い選手に囲まれた環境で競技を継続したい」との思いからだった。
将来的にマラソンへの挑戦をも視野に入れる彼は、求めていた環境で切磋琢磨しながら「日本を代表するランナー」を目指す。

■強い選手に囲まれた環境での競技継続が、富士通入社の決め手

——駒澤大学を卒業後、競技を継続するにあたって富士通を選んだ理由を教えて下さい。
「トラック種目だけでなく、将来的にマラソンまで視野に入れていたなかで、富士通にはどの種目でも国際大会に出場された方や、日本記録を持っていた方がいたことが理由です。強い選手に囲まれた環境で競技を継続したいと思っていたので、富士通が一番いい環境だなと考えました。そのなかでも駒澤大学の先輩である篠原 倖太朗さんがいることも決め手の一つとなりました。

——入社前は富士通にどんなイメージを持たれていましたか?
「学生時代から合宿地が同じになることも多かったのですが、競技の面ではすごくストイックに取り組んでいる一方で、オフはリラックスしていて、選手同士の仲も良く、メリハリのある魅力的なチームに見えました。また、髙橋健一監督を始めとするスタッフは、現役時代にすごい選手たちばかりですが、今はサポートに徹していて、選手の意見をしっかりと聞いてくれるチームだとも思っていました。強豪である理由はそうしたところなのかなと感じていました」

——伊藤選手は大学1年で学生三大駅伝3冠を成し遂げ、箱根駅伝6区で区間賞を獲得しました。早い段階で大きな目標を達成しましたが、その後の目標はどのように変わりましたか?
「1年目で3冠を達成し、その感覚をずっと味わいたいと思い、結局、駅伝では4年間ずっと3冠を目標にしてきました。それ自体が大きな目標でしたが、個人としてはあまり大きな目標は立てなかったです。これは自分の性格だと思いますが、まずは自分の力をレースで発揮し、それができたら、また少し上を目指すということの繰り返しでした」

——最終的に駒澤大学時代、学生三大駅伝を9回走って区間賞2回、区間2位が6回と、高いレベルで安定感を見せ、箱根駅伝では6区のスペシャリストとして名を馳せました。大学時代に経験を積んでいくなかでは、どんな強さを身につけたと考えていますか?
「区間2位が6回という結果が示している通り、飛び抜けた強さは発揮できませんでしたが、4年間を通じて安定した結果を残せたことが強みだと思っています。1年目で箱根6区区間賞という自分でも驚く結果が出せましたが、それ以外の8回の駅伝では、自分の感覚と走りに乖離がなかったことも良かったなと思っています。その理由は、練習でやってきたことをそのまま試合で出せたからだと考えています。また上級生になるに連れて、期待されるものも大きくなりましたが、そのなかでも動じずに走れるメンタル面の強さも身についたと思っています」

——その大舞台での安定感は日頃の練習でどのように培ってきたのでしょうか?
「駒澤大学では大八木 弘明総監督や藤田 敦史監督から、練習中に指示が出され、それに応じて臨機応変に走ることが求められました。そこに対応していくことが試合での強さにつながると考え、真剣に取り組んだことがメンタルの強さにつながったと思います。また自分は、練習でペースを維持することを重視していました。400mトラックを走るなかで1周ごとの誤差を0.2秒以内に収めることをゲーム感覚で楽しんでやっていたんです。そこで養ったペース感覚をレースで発揮することが、安定感につながっているのかもしれません」

——伊藤選手は箱根駅伝6区の活躍から、下りの選手というイメージも強いですが、そこではどんな力が養われましたか?
「思い当たるのは6区を走ったことというより、その後のことで、6区は体のダメージがすごくあるんです。翌日から1週間は歩くのにも苦労するくらいにひどい筋肉痛になるのですが、それを経験することで、並大抵の痛みには耐えられるようになりました。そこから練習に復帰する過程もまた大変で、必死になって取り組まないといけません。そうしたことを繰り返すなかで体が丈夫になりました。その苦しんでいる姿は周囲にあまり見せないようにしていましたが、実際はかなり必死でしたね」

——そうした経験もメンタル面の強さを養う要因になったのではないですか?
「自分でもそう感じています。象徴的だったのは大学4年の全日本大学駅伝5区です。順位も3位でしたし、後ろの区間も後輩だったので、自分のところで流れを引き込もうと考え、前半からかなりハイペースで突っ込んだんです。先頭に立てたものの、中間点くらいでかなりキツくなってしまって、それでも弱気になることなく最後まで押し通せました。6区で得た経験は、レース後のことが大きいですが、少々の苦しさに耐え、キツい場面でも我慢できるメンタルは、間違いなく箱根駅伝の経験が生きていると思います」

■30歳までにマラソンにも挑戦したい。思い描くロードマップ

——今まで伊藤選手の強みをうかがってきましたが、今後、克服したいと考えている課題はありますか?
「自分はラストスパートが弱いので、その部分を改善したいと考えています。これまでの試合でもラスト1周で抜け出したことはありますが、最初の200mだけ速くて、フィニッシュ直前はペースが落ちてしまうことが多く、それを最後までもたせるようにしたいんです。実業団選手が多く走るレースは、ラストまで勝負がもつれることも多く、そこでの強さがないと順位が勝ち取れません。富士通でトラック種目をメインに走っている先輩たちは、ラストスパートが強い選手が多いので、そうした方たちからどんどん学んで、伸ばしていくつもりです」

——富士通のなかで目標とする選手はいますか?
「やはり篠原さんです。一つ上の先輩で、学生時代からいろいろと教えていただいていますし、篠原さんは前回のニューイヤー駅伝3区で区間賞、区間新記録を作っています。1年目からそこまでの結果を残せるのはすごいことで、走りの面だけでなく、レースへに臨む姿勢なども含めて今後も学ばせていただき、目標にしたいです」

——同期に上原 琉翔選手も入社しました。どのように切磋琢磨していきたいと考えていますか?
「学生時代から交流があり、連絡を取り合うことが多かった選手ですが、これからはチームメートとして一緒に高め合っていければいいですね。ただ目指す種目が若干違うので、同じレースで競い合うことは少ないかもしれません。それでもそれぞれのレースでの順位や、日本のなかでどのくらいの位置にいるかなどは常に意識して、シンプルに結果で負けたくないと思っています」

——競技者としてのロードマップはどのようなものを描いていますか?
「入社から3〜4年目まではトラック種目と駅伝を主戦場にしたいと考えています。それでマラソンが楽しそうだなと思ったタイミングで、そちらへ移行していくつもりです。自分自身、競技を続けていくうえで、楽しくやるというのは重要な要素です。できれば30歳までにマラソンに挑戦したいと思っていますが、現時点ではそこまで厳密には決めていません」

——その過程のなかで、富士通が大切にしている「挑戦に終わりはない」というコンセプトや「世界で戦う」ということをどのように体現していきますか?
「学生時代は駅伝のウェイトが大きかったですが、実業団では東日本実業団駅伝とニューイヤー駅伝の二つになり、トラックに集中できる時間が長くなります。そのなかで記録にこだわる挑戦をしたいと考えています。5000mは学生時代から取り組んでいましたが、10000mは目立ったタイムを持っていないので、まずは27分台、その次は27分50秒台と、少しずつ縮めていきたいです。自分はあまり背伸びせずに、細かい目標を立てていくことが性格的に合っています。記録を更新していけばグレードの高いレースにも出ていけるようになり、世界へ挑戦できる権利も手にできるはずです。富士通にも日本代表経験者の先輩が多くいるので、まずはチーム内でそうした方たちと肩を並べて走れるようになることを目指し、最終的には勝てるようになることが世界につながってくると考えています」

——駅伝ではどのような活躍を目指しますか?
「下りだけではないところを見せたいですね。先ほども話した大学4年時の全日本大学駅伝5区のように、序盤からハイペースで入って、最後まで耐え抜くスタイルは実業団でも変えたくないと思っています。レベルの高いニューイヤー駅伝になれば、なおさらそうした強さが求められますし、さらに自分の良さも磨かれるはずです。欲を言えば、前回の篠原さんのように前半区間を走って、他チームの強い選手たちと勝負したいです。ペースを維持することは得意なので、あとはそれをいかにハイペースへと変えていけるかが重要なので、富士通ではそこにチャレンジしていくつもりです」

——競技者としての最終目標はどんなものをお持ちですか?
「ずっと『日本を代表するランナーになる』ということをイメージしていますが、実際、いつ、どの種目で日本代表を勝ち取れるかといった具体的なイメージはまだできていません。これまでも種目を絞って競技に取り組んだことがないので、富士通ではまず自分の得意種目を見つけて、それが明確に定まったときに突き詰めていき、世界に出ていければと考えています。駅伝では安定感を武器にするだけでなく、エースとしての走りも目指しつつ、ニューイヤー駅伝の優勝に貢献できる選手を目指します。最終的に富士通の駅伝では常に走っている選手というイメージがつくことも一つの目標です」

——可能性を広く残したいという考えでしょうか?
「はい。学生時代を振り返っても、日本代表に最も近づいたのはトラックではなくクロスカントリーでした。自分がどの種目に適性があるかまだわかりませんが、それは楽しみな部分でもあります」

——そのうえでルーキーイヤーの2026年度はどんな結果を目指しますか?
「日本選手権5000mで決勝に進むことが最初の目標です。日本選手権は初めての挑戦になりますが、昨年、参加資格がありながら故障で出られず悔しい思いをしているので、その思いをぶつけたいと思っています。そして秋に10000mで27分台を目指します。駅伝では学生時代の安定感を実業団でも発揮したいです。すべてにおいて自分の武器である安定感とクレバーさを出せれば、1年目から結果を残せると思っているので、まずは自分の普段の力を出せるように、日々、練習と準備を重ねていきます」

 

(取材・文/加藤康博)