【江島 雅紀(男子棒高跳) 陸上競技人生の第2章 】

今週末、山口県で第72回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会が開催されます。今シーズンの集大成となる大会前に、江島選手の“今“をお届けします。(筆者:朝日新聞社 辻隆徳) 

 

 「復活」 

陸上男子棒高跳・江島雅紀(25)の2024年シーズンはこの2文字がぴったりだろう。 

今年6月29日。江島は日本選手権のピットに2年ぶりに立っていた。記録は5メートル30で8位。自己ベスト5メートル71には遠く及ばない。それでも、確かに踏み出した一歩。競技後は涙をおさえられなかった。 

「日本選手権で優勝というのは掲げていた目標でしたが、1年を通してみると、あの舞台に戻って来られたというのが一番評価できるところだと思う」 

 

 突然の悲劇だった。 

22年6月。試合中に右足舟状骨を粉砕骨折した。その1週間前に日本選手権を3年ぶりに制し、夏の世界選手権オレゴン大会を見据えていた矢先のこと。これまでの肉離れや捻挫(ねんざ)とはまったく違う感覚だった。「自分の体の一部が失われたような。痛みよりも、頭が真っ白になって、『あー、終わったな』って思った」。救急搬送され、医師から手術が必要だと告げられた。 

 

絶望や不安。手術後は病室のベッドでそんなネガティブな言葉ばかりが頭に浮かぶ。痛みで眠れず、気付くと涙が流れていた。1人では日常生活もままならず、実家に帰った。起きて、食べて、寝るの繰り返し。体内に金具が入っている違和感と痛み。ただ、自分を見つめ直す、いい時間にもなった。 

「この先を考えるよりも、これまで自分が競技を通じて何を得たかというのを考えた」 

 

 競技を通じて出会った人たち、5メートル超を跳んだときに経験した爽快感。自分にとって棒高跳がかけがえのないものだと気付いた。苦しいリハビリやトレーニングに励み、昨年9月の全日本実業団対抗選手権で1年3カ月ぶりの復帰を果たした。このときは4メートル台の記録にとどまったが、「陸上競技人生の第2章と切り替えられた。5メートルを跳べなくても残念とは思わず、これが新しい自分なんだと思えた」。 

 

 今季はパリ2024オリンピックの参加標準記録(5メートル82)をめざして大会に臨んだが、届かなかった。自分がいないパリの男子棒高跳のテレビ中継は見ることができなかった。「自分の実力で出られなかった大会。初めての感情というか、なかなか見ようという気持ちにならなかった」と振り返る。ジュニア時代に競い合った同年代のアルマント・デュプランティス(スウェーデン)が2連覇を達成。最終跳躍で自身が持つ世界記録を1センチ上回る6メートル25を成功させた。 

「決勝に残っていたデュプランティス選手含めて世界陸上ドーハ大会や東京2020オリンピックで競い合っていた選手たちの中に自分が入れていない情けなさのようなものを感じた」 

 

一方で、刺激も得た。同期入社のチームメイトとして切磋琢磨する男子走幅跳の橋岡優輝(25)や女子100メートルハードルの田中佑美(25)らが大舞台で堂々と戦う姿を見て、「やっぱりすごいなって。すごい選手がたくさんいる(富士通の)環境に身を置かせてもらっているのが改めて幸せなことだなと感じた」という。 

 

25歳はすでに次の目標へ走り出している。来年9月には世界選手権が東京で開かれる。3年前に出場した東京2020大会は無観客だったことに触れ、「パリのような雰囲気を東京で味わいたい。僕は見られるのが好きなので」と笑う。4年後のロサンゼルス2028オリンピックへ弾みにしたい大会だ。 

まだ足に痛みは残る。一生付き合っていかないといけない痛みだと自覚している。だけど、今はこう思う。 

「陸上をやっていて、いまが一番楽しい」