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【42・195kmへとつながる道】
駅伝・マラソントークイベントから(後編)

寄稿:報知新聞社スポーツ報知 記者 太田涼

 2019年9月の東京五輪代表選考会MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で優勝し、代表内定した中村匠吾は、2人の恩師と歩み続けている。駒大時代から指導を受ける大八木弘明監督と現在の所属である富士通の福嶋正監督。42・195キロという果てしなく孤独な世界で戦う男は、2人とどんな時間を過ごして高みへ至り、これから何を目指すのか。東洋大時代に箱根駅伝5区で活躍した「2代目・山の神」柏原竜二氏と文化放送・寺島啓太アナウンサーが司会を務め、前述の3人と座談会。後編として、マラソンと富士通、駒大をつなぐ熱きスピリットに迫った。

 

 2020年。本来なら東京五輪が開催されて熱狂の渦のまっただ中にいたはずの日本だが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって日常すら変わってしまった。3月には国際オリンピック委員会が五輪の21年延期を発表。マラソンコースの札幌移転などもあり、振り回される形となった選手たちだったが、どんな心境で過ごしてきたのだろうか。

 

 中村匠吾(以下、中村)「発表前から少し、延期かもとは覚悟していました。中止ではなく延期という判断には感謝しています。20年8月にマラソンという準備していたので、気持ちとしては切り替えるのが難しい面も、正直ありました。それでも、この1年を自分の力に変える努力をしてこれたと思っています。21年は、それを発揮できるようにしたいです」

 福嶋正監督(以下、福嶋監督)「4月に緊急事態宣言が出て、外出ができなくなった。選手たちも練習していいのかどうかという葛藤もあったと思う。中村もその1人。1人でいる時間が長くなり、気持ち的に大変だったし、かわいそうだったと思う。逆に、7月から大会が再開し、今までの当たり前を改めてありがたみ、試合できることへの感謝も持てるようになりました」

 中村「そうですね。これまでは基本的に、休みの日は外出することが多かった。引きこもるような経験がなかったので、自粛期間は『何しようかな』と考えると競技のことばかり考えてしまい、リフレッシュする機会が減っていました。すごくきつい部分ももちろんありましたが、練習終わればリフレッシュを心がけてテレビ見たりとか、なるべく普通に過ごそうとしていましたね」

2020年12月4日 日本陸上競技選手権大会・長距離種目 男子5000m

 苦難のシーズンだったが、できないことを嘆くのではなく、できることを地道に積み上げた中村とチーム。駅伝はもちろん、12月の日本選手権5000mでは坂東悠汰と松枝博輝がワンツーフィニッシュ。五輪参加標準記録には届かないまでも、好記録をマークした。日本長距離界全体が活気づき、トラックとマラソンの垣根を越えて刺激し合っている。

 

 福嶋監督「日本選手権は五輪につながる大事なレース。5000mは1、2位とお互いが求めた結果だったと思う。今年を振り返ると、コロナ禍での生活様式の変化、練習形態も変わった。今までの普通は普通ではないと思った一年。そういう中で活動させてもらっているありがたさを実感した。こういう感動や勇気を与える走りを見せていきたいと強く思いましたね」

 中村「坂東と松枝が結果を残し、大きな刺激をもらいました。10000mでは日本記録も出て、標準突破も2人。相澤(晃、旭化成)君は内定しましたし、レベルが上がってきているので私も頑張らないといけないと感じています。種目は違っても、一緒に切磋琢磨していきたいですね」

 

 これまで数多くの所属選手が日の丸を背負って五輪の舞台で戦ってきた伝統の富士通チーム。しかし、マラソン競技としては中村が初の五輪選手となった。駒大出身選手としてもマラソンでの五輪切符は初めてのことで、意外な共通項である。そんな快挙を目の当たりにしたときに脳裏に浮かぶのは、1人のレジェンドだ。

2000年12月福岡国際マラソン 当時の日本男子最高記録

 寺島啓太アナウンサー(以下、寺島アナ)「マラソンでの五輪出場が初というのは意外ですが、世界選手権は藤田敦史さん(現・駒大ヘッドコーチ)が走られていますよね?」

 大八木弘明監督(以下、大八木監督)「藤田は入学した頃、9月くらいまで貧血で走れなかった。集団でやっても後ろの方で、全然ついて来れなかった。治療したりしていって、9月くらいから一気に強くなった。黙々と練習する子でした。とにかくジョグの時間が長かった。みんなが80分でも、絶対にプラス10分以上やるとか。今はコーチとして、現役の頃とは違ってきめ細かく声をかけている。走っていた頃は自分のことで精一杯で、周りに声をかけたりはあまりなかった。指導者として視野が広がり、全体を見るようになってきているのでしょう」

 福嶋監督「私が富士通でプレイングコーチをしていた頃に入ってきたので、藤田について行って一緒に練習していましたね。量も質も高かった。貧血というのがあっても、気持ちも強かった。練習から帰ってくるのは一番遅いし、競技の害になるようなことは一切しない選手でしたね」

 

 偉大な藤田と同じ道をたどっている中村。初マラソンとなった18年びわ湖に向けては、大八木監督の下で藤田式のメニューに取り組んだが、そのレベルの高さと圧倒的なボリュームは異次元だった。

2018年3月 初マラソンでMGC出場権を得たびわ湖毎日マラソン

 中村「初マラソンへ、どういう練習するか分からない時期には藤田さんの練習メニューを参考にしながらやっていきました。(2度目のマラソンとなった18年9月の)ベルリンくらいからは、監督と話し合いながらアレンジしていって、うまく力がついた感じですね」

 柏原竜二氏(以下、柏原氏)「藤田さんを参考に中村選手の練習を組み立てていたんですか?」

 大八木監督「藤田の練習やらせたけど、全然違った。40km走とかを何度も入れていたが、匠吾の体力がもたないところもあった。藤田のメニューは藤田だけだな、と思い知りました(笑)。匠吾には新たに考えて、マラソンから重ねる毎にタイムは上がっています。あとはもう一段上がれば、2時間5、6分台にも届くと思います」

 

 中村の兄弟子にあたる藤田をはじめ、脈々と受け継がれる熱い魂。駒大、そして富士通から、42・195kmへとつながる道は険しくも情熱に満ちている。

 大八木監督「藤田、中村、そして今は田沢も『将来はマラソン』と言ってくれているのでうれしいですね。多くの子供たちが箱根に憧れて入ってくる。箱根は箱根。その中でマラソンもというのは、大学では厳しいところもある。スタミナをつけるには時間もかかるので。大学ではマラソンをやる選手として考えながら駅伝をやるという感じで育ててています。箱根からマラソンへ、世界で戦う選手を育てる感覚ですね」

 福嶋監督「富士通から五輪マラソン、というのは今後に生きると思います。創部から約30年。世陸のマラソン代表は結構いたが、五輪には誰もいなかった。MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)でも多くの社員の方に応援してもらったり、支えていただいている以上は結果で恩返ししたかったので喜びもひとしおです」

 大八木監督「たしかに、職場にも愛されていなければ、競技もだめ。感謝の気持ちを持って、常に恩返しできる選手になって欲しい。職場にいないことが多いので、自分の姿を見せたいという思いもあるのだと思います。そういう意味では(この日の座談会を手伝っていた)油布(郁人、駒大→富士通)も仕事ができる子だからホッとしています(笑)。会社でも愛されているようなので」


 今回のトークイベントを経て迎えた2021年。1月1日のニューイヤー駅伝では富士通が、2、3日の箱根駅伝では駒大がそれぞれ優勝を果たした。ともに前年度の悔しさを糧に攻めの姿勢を貫き、あきらめない走りが多くの陸上ファンに感動を与えることとなった。しかし、ここがゴールではない。チームを導いた福嶋監督と大八木監督、そして中村はびわ湖マラソン(2月28日)優勝へ歩みを進めている。

 中村「いい流れで来ている。五輪での表彰台を目指し、それだけの覚悟をもってやってきた。あとはやるべきことをやるだけです」

 すべては8月8日をパーフェクトな状態で迎えるため。クリアな視界と尽きない向上心、そして恩師、仲間との絆。その全てが、中村を世界の頂へと導く。