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  4. 中村匠吾コラム:夢を現実にした長期計画。今まで中村匠吾を育てた2人の監督~夢へのロングスパート(後編)
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中村匠吾コラム 後編


マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で優勝を飾り、2020年マラソン日本代表候補に内定した中村匠吾。2015年の富士通入社後は一時期負傷に悩まされたが、主要な大会では力強いパフォーマンスを披露。安定した走りと粘り強さでチームをけん引してきた。マラソンは恩師である駒澤大学陸上競技部大八木監督の指導も受けながら、長期プランで強化。国際大会での上位入賞を狙う。その成功の秘訣、成長の過程で何を学んだのか、2020年はどこに向かうのか。大会までの姿を追う。
印象に残るやりとり
中村匠吾 印象に残っているやりとりがある。シンクロ日本代表の井村雅代監督のファンで、本を読んだと聞いた時だ。「怖いコーチが好きなんですか?(笑)」と聞いた、その答えだ。

「それだけ向こうも本気になって指導してくれていると感じるのがいいのかな。その場で言ってくれた方が自分のためになるし、一生懸命やっていることに対して指導してくれる方が好きです」

自分に対して本気になってくれる二人の監督を持ったこと、その環境下で長期計画のもとマラソンに取り組めたこと。それが、中村匠吾を強くしたのは間違いない。
大八木監督との出会い
その一人は、駒澤大学の大八木監督だ。

中村匠吾の大学時代以降の活躍について、知る人は多いだろう。駅伝の名門、駒澤大学に進学し、代名詞「男だろ!」の掛け声で有名な大八木監督の指導を受けた。入学後、大学1年・2年は、一気に増えた練習についていくので手一杯だった。だが、2年間の積み重ねの末、3年目に開花。2013年関東インカレ2部10000m優勝、日本選手権10000m5位入賞、2013年ロシア・カザンユニバーシアードハーフマラソン銅メダル獲得など活躍する。

4年生ではチームメイトの村山謙太(旭化成)らと、箱根駅伝でもメディアの視線を集めた。その想い出を本人はこう語る。

「テレビで見ていたときよりも、いざ箱根駅伝本番となると報道陣の方もたくさん来たり、ファンの方々も多くて、自分の見えていなかった視点から大会の大きさを感じました。注目度が高かった分、社会人になって大きな大会に出ても、冷静に試合に入り込める強さが身に付いたと思います」

このころ、大八木監督から本気で2020年をマラソン代表として目指さないかと声をかけられた。そして社会人として入社した後も、継続した指導を受け、2020年を目指すプランを作り上げたい。就職先も、それを考慮して選ぶことになる。

「大八木監督に指導を受けて2020年を目指したい気持ちがあったので、ある程度自分の意思を尊重してくれる企業に行きたいと思っていました。いくつか勧誘を受けましたが、それを理解してくるのは限られていた。最終的に富士通の福嶋監督と直接話して、人柄というか接しやすさも感じた。自分のやりたいことが明確でしっかりしていれば、やらせてくれる。それを受け入れてくれる一番の会社が富士通と感じたので選びました」

そう、二人目の監督、福嶋正監督との出会いだ。
ダメだった時は厳しく言ってくれますし、良かった時は自分以上に喜んでくれる
福嶋監督の人柄・印象について、中村匠吾は「こう言うとなんですが…接しやすい近所のおじさんみたいな(笑)」と話す。

「自分は大学で普段練習しているため、年間の試合や合宿など、あまり会う機会は多くありません。それでも、ダメだった時は厳しく言ってくれますし、良かった時は自分以上に喜んでくれる。普段は大八木監督と一対一でやっているので、福嶋監督がいてくれるのはすごく、気持ちの面でも支えてもらっています」

富士通陸上競技部の中には、福嶋監督の人格に惹かれ、入社を決めた選手も多い。加えて中村にとっては、大八木監督と福嶋監督の仲が良いこともプラス材料だ。合宿で一緒だと二人(大八木監督と福嶋監督)でサウナに入ったり、うまくやってくれている部分も「助かっています」と語る。

実際にこの選択は、中村にとって最高の選択だった。富士通入社直後から世界を意識していた中村。だが、社会人1年目・2年目は怪我の影響もあり、あまり結果は残せなかったのである。それでも、長期的なプランがあったからこそ、焦りはなかった。

「大学4年間+富士通3年間という計画を組んで、3年目のシーズンでマラソン挑戦を決めていました。1年目と2年目は根本的にスピードを磨くシーズン。練習強度は2年目から格段に上がり、経験したことのない練習の中で疲労度も高くなって、試合で走れないなど波の激しさもありました」

トラック、駅伝で安定した結果が残せるようになったのは3年目から。「2年目の練習があったから、3年目はスピードとスタミナを融合させた時に結果が少しずつ出て、充実している感覚がありました」と本人も話す。世界で走るイメージを早くから持てたのは、その後の飛躍に大きな影響を与えた。

「レース結果も大事ですが、世界との差を考えた時、自分が若いうちに取り組むべきことは何か。それはスピードだと感じていたので、ケニア人選手と練習したりスピード練習に力を入れたことは、すごくプラスになりました」

実際に3年目のシーズン後半、2018年びわ湖毎日マラソンで、マラソン初挑戦ながらMGC出場権を獲得(2時間10分51秒[7位(日本人1位)])した。その際もラスト2kmの猛烈なスパートが、目標達成の要因となる。それは間違いなく、積み重ねの成果だった。
目標に届いた時、出てきたのは周囲への感謝
中村匠吾 MGC出場権獲得以降、その後はベルリンマラソン(2時間08分16秒[4位])と東京マラソン(2時間14分52秒[15位])で実力を確認。特にベルリンでは自己ベストを記録した、ベルリンマラソンの日程はMGCの開催日程と同じようなスケジュールでありその後の合宿や大会への良い準備材料となった。

迎えたMGC当日、「やれることはやってきたつもり。自信をもってスタートラインに立ちたい」との言葉通り万全の体調でレースにのぞみ、前半のハイペースにも冷静に対応。終盤39.2km地点からのロングスパート、ラスト800m上り坂での2段階スパートを武器に強力なライバルたちを一蹴。文句なしの1位(2時間11分28秒)で日本代表内定を勝ち取った。

MGC優勝後、自然に出てきた言葉は周囲への感謝だ。「よかったこと、うまくいかなかったこと、様々あったが多くの方に支えていただいてスタートラインに立つことができました。自分自身のベストパフォーマンスが出せたと思う」

思うに、長期的なプランは必要だ。そして、数多くの選手が、それを立てていたことだろう。しかし、それを実行し成功させるには、数多くの要素が必要になる。本人の努力、サポートする人間の知見、理解を示してくれる環境、良き仲間、運。その多くの負担を2人の監督中心に、たくさんの人たちが周囲で支えてくれた。それが中村匠吾成功の最大のカギになったと言える。 2020年8月まで、あと半年。本番でも、その力強い声は中村匠吾の脚を支えることになるだろう。

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中村匠吾
中村匠吾(なかむら しょうご)

三重県出身、1992年9月16日生まれ、長距離種目
駒澤大学時代から駅伝強豪校の中心選手として活躍。4年時には主将を務めた。富士通入社後は負傷に悩まされつつも、主要大会で力強いパフォーマンスを披露。安定した走りと粘り強さでチームをけん引する。


《自己記録》

5000m 13分38秒93
10000m 28分05秒79
ハーフマラソン 1時間01分40秒
マラソン 2時間08分16秒

《主な戦績》

2013年 ユニバーシアードハーフマラソン 3位
2014、 2016年 世界ハーフマラソン選手権日本代表
2015年 東京箱根間往復大学駅伝競走1区 区間賞
2017年 日本陸上競技選手権5000m 3位
2018年 びわ湖毎日マラソン 7位(日本人1位)
2019年 マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)優勝