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中村匠吾コラム 前編


マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で優勝を飾り、2020年マラソン日本代表候補に内定した中村匠吾。2015年の富士通入社後は一時期負傷に悩まされたが、主要な大会では力強いパフォーマンスを披露。安定した走りと粘り強さでチームをけん引してきた。マラソンは恩師である駒澤大学陸上競技部大八木監督の指導も受けながら、長期プランで強化。国際大会での上位入賞を狙う。その成功の秘訣、成長の過程で何を学んだのか、2020年はどこに向かうのか。大会までの姿を追う。
MGC優勝9秒前に見せた小さなガッツポーズ
中村匠吾 中村匠吾は、あまり感情を表に出すタイプではない。MGCで優勝すれば、さすがに拳を突き上げたりするのかと思ったが、気持ちを見せたのはゴール9秒前に右手で見せた、小さなガッツポーズ程度だった。本人も自分の性格を、「目立つ選手は(目標を)口に出したりしますが、そういうタイプとは違いますね。性格は、わりとのんびりしてます。マイペースです」と答える。

しかし、自分の未来について語る時、その口調には強い意志が宿る。競技以外の面も含めて、夢はあるか尋ねた時だ。「今は2020年に結果を残すのが、まずは一番です。マラソンは注目される世界大会がいくつもある。そこで“自分のやってきた証”を一つでも残したいです」

「熱いですね」と返すと、「そうですか?」と照れ笑いしつつ、「ここまでずっとやってきたので、中途半端に終わりたくないんです」と答える。なんとも、中村匠吾らしい反応だ。きっと、自分がこうと決めた道を進むことに、迷いがないのだろう。マラソン終盤で見せるロングスパートのように、自分の信念に沿って、ゴールへ向けて長く努力を続ける。それは、成長の過程で身に着けた彼の武器と言える。
100mだと一番になれなかった
中村匠吾が陸上を始めたのは、小学校5年生の時。学校のマラソン大会で上位に入ったり、テレビで箱根駅伝などを見て興味が沸き、地元のクラブチームで始めた。当時は長距離にこだわらず、100mや走幅跳もやったという。しかし、「100mだと一番になれなかったんですよ。速くなくて。長距離だと市の大会でも上位だったから」と、中学校から本格的に長距離に取り組んだ。

「中学校の時は県の中で上位でしたが、三重県自体があまり強い県ではなく、全国大会とは無縁でした。全国レベルで活躍できるようになったのは、高校2年生くらいからです」

MGC優勝後、この三重県上野工業高校時代の恩師、町野英二先生の「激流を流れる中の木の葉のごとくうまくレースを進みなさい」とのフレーズが、よく取り上げられるようになった。その高校時代の経験は、中村匠吾の選手としての基盤である。

「合宿など厳しかったですが、今になって振り返ると、高校時代に先生から競技を続けるための心構えを教えてもらいました。それがあったからこそ、今があると思っています」と語る。その指導方針とはどんなものだったのか。
高校時代に培われたもの。中村匠吾の“ステージをあげた”ターニングポイント
中村匠吾 「練習以上に、高校生として当たり前のことをできるようになろうという先生でした。合宿を組むのも、自分たち。話し合ってプランを立てて、その後で先生が確認しますが、ほとんど口出ししない。大学や実業団でも、強化の軸は練習なので、『大事な基礎は自分で考える』ことを教えてもらった高校3年間でした」

この頃に培われた“自分で考える”マインドは、今も中村の根底に流れている。「今でもメニューは監督と話し合って組みますが、与えられたものだけこなすより、自分でどういう意図があって練習に取り組み、試合に向けて逆算するのが大切になる。そういったことを教えてもらえたので、すごくプラスになりました」

ひとつ、中村匠吾の中でターニングポイントになった出来事がある。「一番悔しい思いをしたのは高校3年の時の全国大会。エースだったのですが怪我をして、出るか出ないかの選択を迫られました。結局、自分の意思で出たのですが、1区で大ブレーキしてしまって…。三重県勢としてはそれまで目立った結果を残せておらず、チームもメダル候補とされていた中、20番台で終わってしまった。その時は自分の判断が正しかったのかどうか、今も思っています」

この経験を通して、彼の競技力は世界へと羽ばたいてく。

「高校でも大学でも、自分の中で高校駅伝や箱根駅伝が一番上にありましたが、その舞台でダメだったのを引きずっていました。それでも、大学3年になって世界の舞台を経験したり、自分の夢だった世界大会が近づいてきて、気がついたらそこで勝負したい想いが、駅伝以上になっていた。当時の先生やコーチに申し訳ない気持ちはありますが、自分の中で『乗り越えた』というか、ステージが上がった。ああいう経験があったからこそ、ひとつ強くなれたのかなと思います」

自分で考える。だからこそ、例え失敗したとしても、納得して次へ進める。それは中村匠吾の競技を支えるルーツのひとつだ。そのマインドが結果的に、富士通へ進みながらも、大学で指導を受けながら強化を続けていく、彼だけの選択肢を与えた。周りに流されず、信じた道を突き進む。それもまた、マイペースの強みなのであろう。

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中村匠吾
中村匠吾(なかむら しょうご)

三重県出身、1992年9月16日生まれ、長距離種目
駒澤大学時代から駅伝強豪校の中心選手として活躍。4年時には主将を務めた。富士通入社後は負傷に悩まされつつも、主要大会で力強いパフォーマンスを披露。安定した走りと粘り強さでチームをけん引する。


《自己記録》

5000m 13分38秒93
10000m 28分05秒79
ハーフマラソン 1時間01分40秒
マラソン 2時間08分16秒

《主な戦績》

2013年 ユニバーシアードハーフマラソン 3位
2014、 2016年 世界ハーフマラソン選手権日本代表
2015年 東京箱根間往復大学駅伝競走1区 区間賞
2017年 日本陸上競技選手権5000m 3位
2018年 びわ湖毎日マラソン 7位(日本人1位)
2019年 マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)優勝