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陸上 富士通陸上競技部

髙橋健一駅伝監督インタビュー

東日本駅伝で勝った経験が次に繋がる
髙橋健一駅伝監督インタビュー
——ニューイヤー駅伝が近づいてきましたが、チーム状況はいかがでしょうか?(取材日:12月4日)

思った以上に良い状態です。東日本実業団駅伝で優勝して気合いが入ったのでしょう、1週間空けて奄美大島で合宿を行いましたが、少し動き過ぎているぐらいの印象を受けました。個人的には、この段階だと7~8割程度で十分な感覚があり、それが逆に不安に感じている部分でもありますが、走れないよりは走れている方が良いので、ポジティブに受け止めています。。

——個々のコンディションはいかがでしょうか?

夏まで燻っていた潰滝、佐藤はもう大丈夫ですね。あと鈴木健吾の調子も上がってきたので、本番までには何とかなると考えています。星は今年1年見ていて、彼自身にも焦りがあるのか少し噛み合わないところがありましたが、ここにきてようやく型にはまってきた感じです。また、横手の調子もずいぶん上がってきているので、どこかの区間で戻せれば全然違うと思いますね。そこは楽しみです。

——東日本実業団駅伝では19年ぶりの優勝という結果でした。少し時間が経って、この成績をどのように受け止めていますか?

勝てないより勝った方が良いですが、やはり他チームも(ニューイヤー駅伝出場への)予選と思っての結果だった、と考えています。富士通は序盤に調子の良い選手を使った分、後半つけ入れられるかとも思いましたが、想定以上に後ろを離すことができて、助かりました。今の富士通には駅伝で勝った経験のあるメンバーが残っていないので、そういった意味で良い経験になったと思います。大学時代も含めて駅伝で優勝経験のある選手は少ないので、きっと良い手応えがあったと思います。

——ニューイヤー駅伝で、カギとなるポイントや区間についてお聞かせください。

今回は1区から勝負を仕掛けていかなければならないと思っています。個人的には、序盤に力のある選手を集中して置くことも、一つの戦略として考えています。
同時期にMGCに向けたマラソンも開催されているので、他チームが3区や4区ではなく、1区に実力派の選手を置いてくるのではないかとも感じています。そういったことも想定しつつ、当日までの様子を見ながら適材適所のオーダーが組めればと思います。

髙橋健一駅伝監督インタビュー
——今年、期待している選手はいますか?

走れている選手は無難に調整できているので、遅れていた横手や(鈴木)健吾などがメンバーに入ってこられるかどうかですね。大森、前野、石井あたりもそうですが、最後までメンバー入りをかけて、お互いに実力をあげていってもらいたいと思います。

——今のチームにとって優勝するために何が必要だと思いますか?

やはり失敗(自滅)しないことですね。毎年ですが、強いと言われていたチームが崩れていくのは、ノロウィルスであったり、インフルエンザであったりとか、病気が原因になるケースが多い。もちろん故障にも気を付けたいですが、この時期なので自滅だけはしないようにしていきたいですね。

——これから2020年に向けて、各選手がより専門的に競技に取り組む時期に入ってくると思います。そういった中で、この駅伝の価値を教えて下さい。

実業団のチームに所属しているのであれば、駅伝は避けて通れません。マラソンを走るにしろトラックを走るにしろ、駅伝の1本も走れない選手は個人で日本代表になっても限界があると思います。選手には、しっかりそこを意識して取り組んで欲しいなと思いますね。

——最後にファンの皆さんへのメッセージをお願いします。

いつも応援いただき大変ありがたく感じています。私はチームを内部から見ているので不安に思うときもあるのですが、期待して見ていてください(笑)。チームにも自分にもプレッシャーをかけつつ、今回は優勝を目指して頑張りますので、選手たちの応援をよろしくお願い致します。

髙橋 健一駅伝監督 髙橋 健一(たかはし けんいち)駅伝監督
1973年1月16日生まれ。順天堂大学在籍時に箱根駅伝などで活躍、早津行後ダイエーを経て1998年富士通へ入社。2000年のニューイヤー駅伝では6区を走り、富士通初優勝に大きく貢献した。同年の東京ハーフマラソンで1時間00分30秒と日本記録を更新(当時)。2001年世界選手権、マラソン日本代表。現役引退以後は長距離コーチとなり、現在は駅伝監督を務める。