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陸上 富士通陸上競技部


FIELD EYE 阿久津 尚ニ
復活への狼煙

陸上競技と出会い、成長していく中で

兄の走る姿を見て感動した野球少年

精鋭が揃う富士通陸上競技部の中でも、阿久津尚二は抜きん出た存在と言えるかもしれない。駅伝の伝統校、日本大学で主将として活躍。富士通入社1年目のニューイヤー駅伝2009では、新人ながら6区を任され、1位でタスキを繋ぎ二度目の優勝に貢献した。しかし、その後、彼は「人生で初めて陸上をやめようかと思った」ほど苦しむ。そして苦悩を経た今、改めて思う。「ニューイヤー駅伝はチームに貢献したいし、勝ちにいきたい」。

中学・高校時代から駅伝で全国大会を経験してきた阿久津。そんな彼は、中学校3年生までは野球少年であった。ただ、長距離における阿久津の才能は、中学校時代ですでに開花しつつあったと言える。「中学校までは野球をやっていましたが、冬は体力づくりのため駅伝に参加していたんです。それで僕が中学1年の時、同じ学校だった2歳上の兄が駅伝の全国大会で2番になった。最後のトラックで、アンカーの兄がもう少しで1位になれそうなぐらいの追い込みを見せて、すごく盛り上がった。その時に感動したのを覚えています」。

順調に伸びていった成績と本人の心

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兄の後を追うように阿久津は、中学校駅伝の全国大会に2年連続出場。そして、兄と同じ佐野日大高校に進学。「体の線が細く、身長もあまり高くなかったので、高校からは違うスポーツをやりたいと思ったんです。しかし、中学時代の駅伝の成績が良かった事と、陸上部の先生からも熱心に誘っていただいたので、高校でも陸上を始めました」。本格的に陸上の世界に飛び込んだ阿久津は、さらに力を伸ばしていった。高校2年生の時には全国高校駅伝、通称“都大路”に出場。トラック競技でも3年生の時に、インターハイ出場を果たしている。順調に陸上選手として、キャリアを積み重ねていく阿久津。

だが、着実に伸びていく記録の裏で、本人は怪我との付き合い方に戸惑いも感じていた。「毎年1年のうちの半分ぐらいは怪我をしていました。膝から下やアキレス腱のあたりを、よく怪我していましたね。なので、個人的に全てが順調というわけではありませんでした」。今思えば、その漠然とした不安は、少しずつ彼に忍び寄っていたのかもしれない。阿久津には、たくさんの大学から誘いがあった。その中から彼が選んだのは、大学駅伝の伝統校日本大学。「当時は高校での持ちタイムも良かったのと、佐野日大が系列の高校だったので、そのまま日大に入った形ですね」。


積み重ねられた順風満帆なキャリア

即戦力となった大学時代

日大に入った阿久津は、周囲の期待に応え、チームの即戦力となっていった。「入学してすぐに怪我をしたのですが、夏合宿直後の記録会で5000mの自己ベストを大幅に更新できた。そのまま出雲、全日本、箱根と3大駅伝のメンバーに選ばれた」。以降はチームの主軸として、大学3大駅伝で活躍。「箱根は出たかった大会だったので、選ばれた時は“やるぞ”と思いました。走った後、みんなが『テレビで見たよ』って言ってくれたし、応援も多くて、こんなすごい駅伝があるんだなと感じました」

しかし、大学2年生でスランプに陥る。この年、全日本学駅伝で区間賞を獲得する好タイムをマークした阿久津だが、怪我により1年を通して走れない日々が続いた。「2年生の時は大学時代の中で一番悪かったです。全日本学生駅伝の前後に怪我をして、出雲と箱根は走れなかった。怪我自体も体重を乗せるとズキンとくる痛みだったので、完全に休んでいました」。だが、怪我から復活した2007年は、彼の人生で最も輝きを放つ年となる。5000m、10000m、ハーフマラソンの全てで自己ベストを更新。箱根駅伝も日大は2位と好成績で終えた。そんな大学生活を振り返り阿久津は、「箱根駅伝で、優勝の一歩手前の2位になれたのは良かったですし、4年生の時にひとつの目標だった5000mで14分を切れたことは嬉しかったです」と笑う。

期待に応えた新人

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高校・大学で申し分ない実績を残してきた阿久津には、多くの実業団から声がかかった。「進路を決めたのは3年生の時ですね。富士通に決めた理由は、福嶋監督と話をしてみて面白い人だなと感じたのと、先輩たちの意見も参考にさせてもらいました」。そして、やはり富士通でも阿久津は1年目から戦力となる。「練習と夏合宿を何とかこなしたら、東日本実業団駅伝に出してもらえることになった。走りはあまり良くなかったのですが、昔から憧れていた藤田さんにタスキを渡せたのは感慨深かったです」。そして、元旦のニューイヤー駅伝2009では6区に起用され、優勝に貢献。「コーチからレースの進め方や、風の弱まるところも教えていただいたので緊張もしませんでした。的確なアドバイスがあったおかげで、前のランナーに離されても冷静に走れました」。

ただひとつ残念だったのは、ゴールシーンが見られなかったことだろう。「ちょうど、他チームの選手と一緒にタクシーでゴール地点に向かっている時に、チームが1位でテープを切ったんです。会場に着く頃には当然、胴上げとか終わっていて…。興奮が収まってから着いたので、変に冷静でした(笑)。でも、お立ち台に上がってコメントを言う時にやっと実感が湧きました」。富士通という新天地でも、自分の実力を示した阿久津。福嶋監督も、「集団から離されて一人で走ると、タイムの出ない選手がいる中、阿久津は一人でも安定して走れる」と信頼を寄せている。しかし翌年、社会人2年目の阿久津は、大きな壁にぶつかった。


苦難を乗り越えての復活

「やる気がないんじゃないか」とも言われた

それはここまでトントン拍子で進んできた阿久津に訪れた、最も大きな挫折だった。ニューイヤー駅伝優勝という最大の成功を、わずか社会人1年目にして手に入れた阿久津。モチベーションが落ちるのも、ある意味仕方ないのかもしれない。「体が動かないと感じながらも、気づけば夏が過ぎていました。『体がうまく使えていない』とは言われ続けていて、治療院の先生に相談もしました」。理由が明確にならない中で、周囲からは「やる気がないのか」と厳しい言葉もかけられたという。思い返せば、今まで漠然としか感じていなかった1年を通しての悪いリズムが、ここへ来て増幅されたのだろう。「癖になっているのかもしれない。秋・冬はいいのですが、夏場に全然動けない時がある。どうにかしなければいけないとは思っています」。

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続く不調に阿久津は、「人生で初めて陸上をやめようかと思った」ほど、思いつめていた。それでも、周りに励まされながら地道に練習を続けたことが彼を救う。「夏が過ぎてしっくりこないままでも、我慢して練習を続けていたら、良くなってきて、何とか今年の東日本実業団駅伝(11月3日)は走ることができた。そうしたら、その後は体が絞れるようになって、いきなり“来た”という感じで走れるようになりました」。アンカーとしてタスキを受けた阿久津は、チームとして狙っていた5位をきっちりと守りゴールしたのだ。区間3位という好成績と共に。
怪我に悩まされてきた阿久津だが、その度に彼は復活を遂げてきた。そして、その時は必ず、ひとまわり大きくなって帰ってきた。今回の不調も、次へのステップになると信じている。

今シーズンは勝負の年

復活を遂げた今シーズンにかける阿久津の思いは並々ならぬものがある。「1年目はいい経験をしながらも、2年目はニューイヤー駅伝で走れなかったので、今回は優勝経験者としてチームに貢献したい。メンバーに選ばれたら、きっと力になることができると思っているので勝ちにいきたいです」。チームとしても個人としても、これから阿久津は上昇気流を描き始める。

「将来的にはマラソンに出て、成功したいと考えています。後は、何かひとつでもいいので個人で優勝したいですね。ニューイヤー駅伝が終わった後に30kmを走ってみて、結果次第でマラソンに挑戦してもいいと言われているので、がんばりたいです」。苦悩を乗り越えて成長した阿久津は、この経験を次にどう生かすか考えている。「マラソンへのチャレンジも踏まえて、今年は自分にとっては勝負の年。1年目はいい思いをして、2年目は苦しんだ。だから、これを3年目、4年目と繋げていければと思います」。今年上がった阿久津の復活の狼煙は、これからより高い場所へ昇っていこうとしている。


プロフィール

阿久津 尚ニ

阿久津 尚ニ
(あくつ・しょうじ)

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阿久津選手あれこれ

  • 陸上以外で好きなスポーツといえば、やっぱり「野球ですね、千葉ロッテが好きです」。少年時代は、どこのポジションだったのでしょう。「最初はキャッチャーでしたがサードに転向して、中学3年までサードでした。打順は小柄だったので、1・2番あたりから5・6番でしたね。すごく強かったわけでもないですけど、県ではそこそこのチームでした」。
  • 富士通のチームメイトの中で、よく一緒に遊んだりするのは誰ですか?「岩水さんですね。結構、一緒に出かけたりもします。釣りはあまり好きではないですが、お付き合い程度にしたりもしますね。後は、趣味の車の話とかをしています」。
  • 好きな食べ物はなんでしょう?の質問には意外な答えが…。「アイスが好きですね。嫌いなものは特にないです」。うーん、デザートできましたか。
  • お兄さんはその後どうされているのですか?やっぱり陸上選手ですか?の質問に「中学校では夏は野球、冬は駅伝という感じだったので、兄はそのまま高校でも野球と駅伝をやっていました。
  • そのお兄さんは甲子園に出場。「大学でも野球をやって、東都リーグで日本一のメンバーに入っていましたね。その後、野球をやめて駅伝に転向して、出雲駅伝も走っていました。箱根では走りませんでしたが、優勝した年のメンバーには入っていました」。
  • その後、お兄さんは?と聞くと、「今は、競輪選手です」。いろいろとスポーツを器用にこなせるのは、家系なのかもしれませんね。

取材・文/NANO Association

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FIELD EYE

FIELD EYEとは?

観客席から観ただけでは決して感じとる事のできない選手ひとりひとりのストーリー。

陸上への想い、悩みや葛藤、そして素顔の部分など、選手自身の言葉で語っています。

今後もFIELD EYEでは選手に密着取材し、富士通陸上競技部の選手を紹介していきます。