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陸上 富士通陸上競技部


FIELD EYE 宮田 越
過去を“越”えて、ただ前向きに

遅れてきた“繋ぎのエース”

嬉しい誤算

11月3日に行われた東日本実業団駅伝。若手中心のメンバーで挑んだ富士通は、レースを5位で終え、元旦のニューイヤー駅伝出場権を獲得。若手起用による上位入りは、チームにとって大きな収穫となった。その中でひときわ輝きを放ったのが、第6区で区間3位と健闘を見せた宮田越である。福嶋監督からも「社会人初の駅伝で不安はあったが、いいレースをしてくれた」と評価された宮田。だが、この結果に最も驚いたのは本人かもしれない。彼は笑顔で語る。「実は、最初メンバーから外すって言われていたんですよ(笑)」。

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中学・高校時代に日本トップクラスの中距離ランナーとして注目を集めた宮田は、東洋大学を経て、2008年に富士通へ入社。しかし、社会人となって以降は怪我もあり、今まで1度も駅伝を走るチャンスがなかった。そして今年も、それは変わらなかった。「今シーズンは4月のマラソンで自己ベストを出したのですが、6月の記録会後に怪我をして、9月まではあまり練習ができていませんでした。だから、今回の東日本駅伝も最初はメンバーではなかったんです」。

社会人3年目を迎え成長した実感はあったが、完全に諦めていた駅伝出場。だが、チャンスは急に訪れる。それは、レースの約1カ月前、エントリー選手締め切りの朝だった。「急遽メンバーが足を痛めて、いきなり監督から『メンバーに入れる』と言われたんです」。だが、突然の抜擢にも本人は冷静だった。「あまり焦りはありませんでしたね。大きなチャンスだと思いました」。宮田は、デビュー戦に向け急ピッチで調整を進めていった。

僕には全てがエース区間

迎えたレース当日。「社会人初の駅伝で、本当は緊張していた」という宮田。だが、本番では第6区(10.6 km)を30分23秒と力走。これは、風や気象などの条件が違うにせよ、昨年同区間を走ったチームのエース藤田敦史の記録(30分18秒)に5秒差と迫る好タイムだった。しかし初体験だけに課題も見つける。「3位でタスキをもらいましたが、前と約1分40秒差、後ろも見えない状態だったので、ちゃんと走れているのかわからなかった。そのあたりは経験不足です」。ただ、手応えは大きい。「設定タイムより速く走れたので、満足していますし自信になりました」。

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しかし、チームが目指すのはあくまでも“駅伝日本一”。元旦のニューイヤー駅伝制覇だ。昨年3位の富士通だが、今年は期待の新人ギタウ・ダニエルも加わり頂点を狙えるチームとなった。宮田にとっては「ニューイヤー駅伝は、まずメンバーに選ばれてスタートラインに立つことが目標」となる。「東日本駅伝の後、監督からは『繋ぎの区間なら十分に勝負できる』と言われた。メンバーに選ばれたら、チームの一員として優勝に貢献したい」。

デビュー戦を経て、宮田は改めて思う。「選手はみんなエース区間を走りたい気持ちがあると思う。でも僕は、繋ぎの区間であろうと、どの区間であろうと、同じぐらい重要だと思っています。だから、自分にとっては全部がエース区間。ニューイヤー駅伝では、自分の力を生かせる区間で精一杯の走りを見せたい」。3年の月日の中で自信をつけた宮田は、どの区間でも“チームのエース”として、元旦のレースに臨む。


決して折れない心

陸上が身近にあった人生

宮田にとって「陸上のない人生は想像できない」ほど、陸上競技は子供の頃から身近にあるものだった。「父が高校の陸上部の監督をしていたので、もの心ついた頃からずっと走っていました。本格的に陸上を始めたのは中学校からです」。4人兄弟の3人目として生まれた宮田だが、他の兄弟は2人が陸上競技の道を志し、姉もバスケットボールの選手。自然と宮田は、スポーツ選手としての人生を歩むようになった。

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中学校時代は、宮田本人が「本当に輝かしい成績でしたね」と認めるほど、全国に知られる存在に成長。1500mや3000mを中心に活躍し、全国大会で6位に輝くなどの結果を残している。そして、父が監督を務める四日市工業高校に進学。活躍を続けた。「父の影響もあって、高校では3000m障害をやっていました。高2の時にはインターハイ決勝までいきました」。その実力は、同じ三重県出身で同い年のチームメイト山口祥太が、「当時は僕なんて足元にも及ばなかった」と形容するほどの強さだったという。

そして、全国に名を轟かせていた宮田のもとに、多くの大学から誘いの声がかかった。その中から宮田が選んだのは東洋大学。「監督が熱心に誘ってくださったのもあり、親にも相談して、最終的には自分で決めました。昔から箱根駅伝に憧れていたので、大学では駅伝中心に頑張りたいなと思っていました」。順風満帆な宮田の人生には、輝かしい未来が待っているかに思えた。

目指したものに届かなくても「充実していた」

しかし、それまでのキャリアと一転。運にも恵まれなかった大学時代、結果的に宮田は一度も箱根を走ることができなかった。「スランプというより怪我ですね。3カ月走っては3カ月怪我で走れなくなる。その繰り返しでした。個人では、関東インカレに出るため3000m障害に一度出ましたが、高校の時よりダメで。それ以降は、駅伝に絞り全日本大学駅伝や出雲駅伝は走りましたが、箱根だけ縁がなかったですね」。憧れの大会に出られなかった悔しさは、相当なものだろう。

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しかし、彼は大学時代を「すごく充実していた」と振り返る。全く悲観的には捉えていない。「確かに箱根を走れなかったのは悲しい。それまで順調で、大学はダメでしたから。でも、監督や友人とのいい出会いもあったので、良かったと思っています」。実は宮田は、大学4年生でチームのキャプテンに選ばれている。その時本人は「箱根も走っていないのにできない」と言ったそうだ。しかし、監督から『やってほしい』と頼まれ、引き受けることにした。きっと当時の監督も彼の前向きな姿勢、人望の厚さを評価したのだろう。

宮田の良さはそんなところだ。「怪我するまでは箱根で走れる位置にいたと思っていますし、仲間にも恵まれた。そういった意味で充実していたと思う。僕、4年の時は箱根で優勝するつもりだったので、『好きな女性タレント』に女性アナウンサーの名前を書いていたんです。その方が、テレビ局の人も話題にしやすいかなと思って(笑)。でも結局、レース本番ではみんなの給水係でしたけどね(笑)」。その頃からムードメーカーとして、ひょうきんな一面を見せていた宮田。「基本的に性格はポジティブですね。にぎやかなのが好きです」。その前向きな心こそが、宮田の最大の強さかもしれない。


自分の夢に向かって前向きに。越えていくもの

富士通での再出発と夢

「大学でたいした成績を残していないので、富士通から声をかけてもらって嬉しかったです」と、素直に語る宮田。だが、本人は不安を感じていた。「富士通には各大学のエース級が集まる。僕だけ実績がないので、最初は“たいしたことない選手だ”ってバカにされるかもと思いましたね(笑)。でも、みんな温かく受け入れてくれて良かったです(笑)」と、おどける宮田。しかし彼なりに、周りと実力差を感じていたのは確かだろう。

それでも、宮田は着実に実力を伸ばしてきた。「2年で結果を残すように言われていたので、1年目は必死でした。富士通に入ってから5000m、10000mを走り始めて、2年目の夏には10000mで28分台の自己ベストを出せた。そこから周りの目が変わった感はあります。自分の中でも力がついてきたと感じられるようになった」。その後、徐々に評価をあげた宮田は3年目の今年、11月3日の東日本実業団駅伝で活躍。さらに大きく力を伸ばしている。巻き返しはこれからだ。

今後の目標を聞くと、宮田ははっきり答える。「ロンドンオリンピックにマラソンで出たいと思っています。あと来年の世界陸上ですね。あまり時間はないですが、今はやれることを手探りでやっています」。今まで世界大会も出たことのない選手が、と世間は笑うかもしれない。しかし、宮田がそんな声に負けることはない。「長距離を続ける理由は、好きだから。自分の可能性を見出していけるものなので、いけるところまでいきたい」。

ピークはこれから

人生の中で、大きな浮き沈みを経験して乗り越えてきた宮田。まるで、父に名付けられた、『越』という名前が彼の人生を象徴しているかのようだ。「うちは4人兄弟で、名前を続けて読めるようになっているんです。兄ちゃんが『元気』で、姉ちゃんが『光』、僕が『越』で、弟が『往』。全員あわせて『元気に光り、越えて往こう』という言葉になる。僕、この名前、大好きなんですよね」。

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父親は彼にとって、かけがえのない存在だ。「今でも試合が終わったら、必ず良くても悪くても連絡して結果を伝えています。一番尊敬している人かもしれない」。宮田は、陸上選手としても当然ながら、一人の人間として人を惹きつける魅力を持っている。きっと、彼の育った環境によるものだろう。

だからこそ、宮田は父を“越えて”恩を返したいと考えている。「何を“越えたい”か、取材でよく聞かれるんです(笑)。でも、たくさんありますね。自分を超えたい、限界を超えたい、そしてやはり父を超えたい。父がインターハイで2位になったそうなので、全国で1番になりたいですね。駅伝でもマラソンでも。自分のピークはこれからです」。過去を振り返らず、前向きに生きる宮田は未来をまっすぐに見て答えた。


プロフィール

宮田 越

宮田 越
(みやた・えつ)

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[締切] 2010年12月17日(金) 12時まで

※当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます。
※個人情報の管理はニフティ株式会社が代行いたします。

宮田選手あれこれ

  • 陸上競技以外で好きなスポーツは「相撲」という宮田選手。「朝青龍が引退してから白鵬の優勝が続いているので、“若・貴”の頃が一番面白かった。じいちゃんといつも見ていました」
  • 食べ物の好き嫌いは何かありますか?「甲殻類(エビ・カニ系)がダメですね。あと好きなのは、卵かけご飯。昔から朝が早かったので、よく食べていたんです。最近は、いろいろありますよね、卵かけご飯専用醤油とか。ラー油もかけるとおいしいです」。
  • 「休みの日は?」と聞くと、「何してるんだろう(笑)」と改めて考え込む宮田選手。「部屋ではあまりテレビも見ないですし…でも、人間観察は好きですね。お店で本を読みながら周りの話を聞いたりして(笑)。あと、本を読むのは好きですね。最近は登山家の栗城史多さんの本を読んでいます」。
  • もし陸上選手になっていなかったら何の選手になっていましたか?「小学生の時は野球をやっていましたね。キャッチャー以外は、ピッチャーも含めて全部やりました。当時は短距離も速かったので、外野でひたすらボールを追いかけていました。でも、その頃から陸上選手になりたかった。中学校の時は、周りにお笑い芸人になればと言われたこともあります(笑)」
  • 部内ではムードメーカーとして扱われている宮田選手ですが、「特に仲がいい選手というと…いないかな(笑)。飲み会要員にされている気がしますね」。笑顔が絶えないため、どうしても、そういう扱いになるようです。「東日本駅伝の時も、周りの人がすごく応援してくれたんですよね。だから、手を振って応えたりしていました。本当にありがたいです」。それだけ、宮田選手が多くの人に愛されている証拠と言えるでしょう。

取材・文/NANO Association

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観客席から観ただけでは決して感じとる事のできない選手ひとりひとりのストーリー。

陸上への想い、悩みや葛藤、そして素顔の部分など、選手自身の言葉で語っています。

今後もFIELD EYEでは選手に密着取材し、富士通陸上競技部の選手を紹介していきます。