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陸上 富士通陸上競技部


FIELD EYE 山田 壮太郎
鉄球に込めた情熱 〜砲丸投に魅せられた男〜

力に頼らない砲丸投

砲丸との出会い

砲丸投に必要な要素として、まず思いつくのはパワーだ。当然、力がなければ重さ16ポンド(7.26 kg)もの鉄球を飛ばすことはできない。しかし、18m64の日本記録を持つ山田壮太郎は、むしろ他の部分を重視する。「自分の特徴はスピードとバネ。力には頼りたくないです。身体をどう使えば遠くに飛ばせるか、それを考えるのが砲丸投の面白いところ」。わずか直径7フィート(2.135m)の円内で助走をつけるには、相当の瞬発力が必要だ。山田は179cm、113 kgの巨漢ながら俊敏な動きを見せる。それは、大学時代まで記録に恵まれなかった彼が、今までの努力により身につけた武器である。

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小学生時代、野球少年だった山田が自信を持っていたのが足の速さだった。「足は学校で1番速かった。リレーのメンバーに選ばれて、陸上競技の大会にも出ていました」。そして、中学1年生の時、担任の先生が陸上競技部の顧問だったことををきっかけに陸上競技部へ入部。当然、種目は短距離かと思われたが、体が大きかったため、砲丸投を勧められる。「初めて4 kg(中学生男子:現5kg)の砲丸を投げた時は『何て重い球だ』と思いましたね。7mぐらいしか飛びませんでした」。

元々瞬発力のあった山田に、砲丸投はあっていたのだろう。そこから「走れないと砲丸も飛ばない」と言う先生の指導の下、みっちり3年間をトレーニングに費やす。そして、中学3年生で全国大会出場。結果は予選落ちに終わったが、「中学3年生の時には高校でも陸上競技を続けようと思っていた」と言う山田は、砲丸投をさらに極めようと決心していた。

辞めたいから続けたいへ

熱心に誘ってくれた先生がいたため、片道約1時間30分かかる遠方の高校へ進学した山田は砲丸投に加えて、同じ投擲競技のやり投でも活躍した。高校1年生の時には、ジュニアオリンピックに出るほどの好成績をやり投で残している。しかし、山田は陸上競技部を辞めたいと、何度も思ったそうだ。「毎朝4時起きで通っていたので辛かったです。1年目から何回も先生に『辞めたい』と言いましたが、その度に『頑張れ』と説得されていました」。

先生に説得され、部活動を続けた山田。その我慢は結果につながり、やり投だけでなく、砲丸投の記録も徐々に伸びだした。高校3年生では、砲丸投とやり投の両方でインターハイに出場。ただ、本人が「“ビビり”だったので、大きい大会に行くと・・・」と言うとおり、両方とも予選落ちで決勝へコマを進めることはできなかった。

しかし、山田の砲丸投への意欲は消えなかった。大学選びの際には、やり投の選手として誘ってくれた学校があったものの、砲丸投を優先。「決められた練習ではなく、自分で練習を考えられる方が良いかなと思って」、法政大学への進学を決めた。この頃はまだ山田が日本のトップに立つ存在になるとは、ほとんどの人が思っていなかっただろう。しかし、大学で山田は飛躍のきっかけを掴むこととなる。


日本で一番の選手に

足りないものを埋めたもの

高校まで全国大会レベルでは結果の残せなかった山田。大学に入学した頃の記録も15mに届かず、関東インカレでも通用するかどうかの選手だった。しかし、様々な環境が彼を急成長させる。「違う大学に同級生で強い選手がいたので、その選手を目標にやっていました。記録も2mぐらい離されていましたが、高校時代は勝ったこともあったので負けたくなかった」。そして2年生になって、山田にも後輩ができた。「後輩にも絶対負けたくないと思って、そのおかげで頑張れた」。山田の記録は2年生時15m台、3年生時で16m台と少しずつ伸び始めたのだった。

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「16mを投げた時に日本選手権で初めて決勝に残れた。あとは1つずつ上がって行ければ良いなと、手応えを感じました」。ここから山田は日本のトップへの階段を上り始める。大学4年生では、何度か17mも投げられるようになった。ただ、その頃山田は「記録を出すには何かが足りない」とも感じ始めていた。そして試行錯誤を続ける中、これまで敬遠していた、あるトレーニングを試してみることにした。

「ウェイトリフティングがいいと言われ、半信半疑でやってみたんです。すると、体の背中側が強くなった」。使えないような筋肉を付けたくないとの考えから敬遠していたウェイトだが、1ヵ月続けると立ち幅跳びが30〜40 cm伸び、目に見える成果があった。山田は語る。「自分ひとりで考えていても伸びない。ウェイトにしても短距離のドリルにしても、いろいろな人のアドバイス取り入れて、それがつながって、最終的には砲丸の技術になってくる」。他人の意見を聞き入れることが、自らの成長につながったのだった。

ノーマークだった男の日本記録

そして、迎えた2009年の織田記念陸上で、山田はついに18m13を記録する。「織田記念の前から良い感覚があったので、1本目から狙っていました。それがうまくいって『よし!』と思いました」。大会前はノーマークだった山田が好記録を出したため、常に山田の上位にいた選手たちが本気になった。その状況を本人は「ちょっと面白いな」と思うほど、この時は自信を持って競技できるようになっていた。山田はこの大会で優勝、さらにその後の日本選手権でも18m47を投げて初優勝を飾った。

そして山田は、その年の新潟国体で日本記録を塗り替える。しかし記録達成の時、本人はいたって冷静だったそうだ。「出るだろうな、という感覚で練習ができていた」と語る。だが、この日は5投目まで18mに届かず、1位には別の選手が立っていた。「5本目ぐらいでやっとポイントに気づき、そこを修正すれば飛ぶなと思った」。そして最終の6投目。18m投げれば優勝だと思って投げた砲丸は18mラインを大きく超え、18m64。

「特別な感覚はなかった」という山田だが、「国体だったので、地元兵庫県のために勝てたのが1番嬉しかった」そうだ。しかし、この日本記録も山田にとっては通過点なのだろう。「16、17、18mの壁とか意識せず、結構あっさりと記録を出してきました。自分の中で記録を意識してしまうと壁になってしまうので、気にしないようにしています。日本の記録の更新はただの通過点に過ぎないと思っています」。


砲丸に魅せられた男の未来

砲丸投で世界を目指す

卒業後、「社会人でも砲丸投をやりたい」と思っていた山田だったが、就職はなかなか決まらなかった。そんな時、富士通から話が来る。「陸上競技をやらせてくれるところに行きたかったので、入れたのは幸運だったと思っています」。現在、富士通陸上競技部でも唯一の投擲競技者である山田。入社後の最も大きな大会となった今年6月の日本選手権、2連覇という結果を残したいところだったが、3位と悔しい結果に終わった。

「日が増すごとに負けたことが悔しくなってきて、負けた2人にどこかで勝たなければいけないと思っていました。それも圧倒して」という山田。その言葉通り、今年7月のトワイライト・ゲームスでは、大会新となる18m51で優勝。自身でも2番目の記録をマークした。「日本選手権の後、千葉県選手権に出た時に元日本記録保持者の方々などと話をして、アドバイスをもらったんです」。その成果が出たのがトワイライト・ゲームスだった。

「記録は18m51でしたが、自分の中では19mぐらいまで飛ぶ感じだったので、ちょっと悔しさが残る試合でした」。この大会では6投中4投で18m以上を出した山田。「世界と戦う上では、やはり1本目から記録を出さないと勝負できない。トワイライトの時はそれができたので、初めて18mを複数投げられた」。山田が見据える先は世界だ。ちなみに北京五輪の参加標準記録は最低でも19m80。まだ世界は はるか先だ。

40歳を超えても投げ続けたい

「体のどこに力を入るとどうなるかが、トレーニングをやっていくと分かるようになるので楽しいんです。それに、どう力を使えば良いかを考えたり、なぜこの選手は飛んで、この選手は飛ばないのかと考えるのも楽しい」と山田は砲丸投の魅力を語る。さらに「なぜ負けたのかと考えるのも楽しいですね(笑)」と、言うほど山田は砲丸投にはまっている。

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世界を目指す山田はこれからどこで勝負していくのだろうか。「日本人は力で勝負しても、体格のいい外国人にはかなわない」と山田は断言する。だから山田の練習は、パワーを出す筋肉の強化より、スピードとバネにつながる筋肉を鍛える練習が多い。「補強は徹底的にやります。腹筋というか、腹筋の中の筋肉がメインです。大腰筋とか、腸腰筋などの深部の筋肉を鍛えるようにしています」。山田は自身の特徴である、スピードとバネで世界と戦おうとしているのだ。

「今年19mを投げることができれば世界が見えてくるかなと思っています。来年はアジア選手権が日本であり、地元の兵庫開催なのでそれには絶対に出たい」と目標を口にする山田は、さらにもっと先の目標も持っていた。「砲丸投は選手寿命が長いので、できれば40歳を超えても続けていたいし、日本選手権にも出続けたい。出られなくなったら、辞めるぐらいの気持ちです」。40歳でも第一線で活躍する。それこそが、“砲丸投に魅せられた男”山田に、最も相応しい人生なのかもしれない。


プロフィール

山田 壮太郎

山田 壮太郎
(やまだ・そうたろう)

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[締切] 2010年9月17日(金) 12時まで

※当選者の発表は発送をもって代えさせていただきます。
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堀籠選手あれこれ

  • 自分の性格を分析すると「ビビりです」と言う山田選手。高いところや恐いものが嫌いなそうで、「観覧車も絶対乗れないですね。危機感しかないです」。でも、ホラー映画などは「興味本位で見る」そうです。
  • お休みの日は何をしていますか?「お昼ぐらいに起きて、溜まっているドラマのビデオとかを見たりしています。お笑いも見ます」。趣味はありますか?「漫画を読むことですね。家にも、めちゃくちゃあります。キャプテン翼とかが好きですね」。
  • ちなみに、応援しているスポーツのチームとかありますか?「野球なら西武です。中島選手が好きです。サッカーだと清水エスパルスに所属しているボランチの本田拓也が同級生で友達なので、応援しています。仲もいいです」。
  • 男のひとり暮らしだと、食事や洗濯も大変でしょう。「食事は極力作っていますけど、肉や魚を焼くとかですね。ステーキは焼くだけなのでよく食べます。洗濯は毎日していますよ。溜めたくないので」。意外と家庭的?
  • 「投げるまでの一連の動作が決まっていますよね?」の質問に「絶対一緒で、左足から入ります。中学校ぐらいからずっと一緒ですね」。ずっとベストのフォームを研究してきた山田選手だけに、競技への入り方にもこだわりが。これからも活躍を期待しましょう。

取材・文/NANO Association

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FIELD EYE

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観客席から観ただけでは決して感じとる事のできない選手ひとりひとりのストーリー。

陸上への想い、悩みや葛藤、そして素顔の部分など、選手自身の言葉で語っています。

今後もFIELD EYEでは選手に密着取材し、富士通陸上競技部の選手を紹介していきます。