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陸上 富士通陸上競技部


FIELD EYE 醍醐 直幸
走高跳が教えてくれた人生のすべて

人間味あふれる日本NO.1ジャンパー

飾らないトップアスリート

2006年の日本選手権で2m33を跳び、13年ぶりに走高跳の日本記録を塗り替えた醍醐直幸。日本選手権では過去5大会中4回の優勝を誇る、日本NO.1ジャンパーだ。しかし、醍醐におごった様子は微塵もない。フリーターをしながら競技を続けたという珍しい経歴がそうさせるのか、謙虚で飾らない彼には人間としての魅力があふれている。その性格は、彼自身が様々な人生経験を通して培ってきたものだ。

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醍醐が陸上を始めたのは1994年。中学2年生だった醍醐は持ち前のジャンプ力を発揮し、バスケットゴールに次々とダンクを決めて遊んでいた。その姿を見た陸上部の先生が、走高跳の試合に勧誘。大会で醍醐はいきなり1m92をクリアし、その年の全国中学ランキングに入る好成績を残す。だが、当時の醍醐は陸上にそこまで肩入れしていたわけではない。

「本当はバスケがやりたかったんですが、中学校にバスケ部がなくて、似ているハンドボール部に入っていたんです。だから、走高跳は毎日練習していたわけではないんです」。醍醐の中で走高跳は、サッカーやバスケと同じく遊びの一環のようなものだったのだ。

楽しみながら跳べた時期

そんな醍醐が、走高跳で生きていこうと決心したのが、高校2年生の頃。記録は順調に伸び、国体で2m15をマークし優勝。さらに世界ジュニア選手権で7位入賞を果たす。この結果が確固たる自信になった。「他のスポーツへの興味も尽きませんでしたが、『これならオリンピックに出られる』と自信もついたし、どこでやっても大丈夫だと思ったんです」。
ただ、この頃もまだ醍醐は、「競技を遊びの延長のような感覚でやっていた」という。むしろ醍醐にとって、そんな気持ちの方が自然だったし、何より楽しかった。

「その頃から本気で厳しくやっていたら、この歳まで陸上を続けていないかもしれない。周りの人が楽しくやらせてくれたからこそ、まだ続けられていると、今考えれば思いますね」。楽しく自由にバーを跳んでいた醍醐。しかし当然ながら人生は、それで全てうまくいくほど甘くない。大学に進学した醍醐に、深刻なスランプが訪れたのだ。


苦悩の日々から学び得たもの

高跳びのマットに行くのも嫌だった

ここまで順調にキャリアを積んできた醍醐。だが、大学2年以降、パタッと記録が低迷してしまう。初めて味わうスランプだった。「何かあったわけではないんです。ただ、欲を出して本格的にウエイトトレーニングをやったり、走りこんだりしたら、自分のペースが分からなくなって・・・」。高跳びは、筋力がつけばいいわけでもなく、足が速くなれば跳べるというわけでもない。競技の難しさに迷い込んだ醍醐は、自然なフォームで跳べなくなってしまったのだ。

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不安はどんどん大きくなっていく。「自分でも『才能を出し切ってしまったんだ』と思っていました。それまで何も考えずやってきたので、後ろを向いても何も残っていなかったんです。大学2年〜4年まで、高跳びのマットに行くのも嫌だった」。醍醐は、ギリギリまで追い詰められていたのだ。

何度も「高跳びを止めようと思った」醍醐だが、大学卒業を前に、ひとつの決断をする。「もう無理だと思う一方で、自分の中には『コレしかない』という気持ちがあった。だから、卒業しても1年間だけやってみようと決めたんです」。

それまでは「中途半端に何でもできた」だけに、「これ以上頑張る必要はない」と、全てを中途半端で終わらせてきた醍醐。彼にとって走高跳は“遊びのひとつ”から“人生の全てを掛けられるもの”に変わっていった。

訪れた転機

大学を卒業した翌2003年、醍醐は平凡な記録ながらも日本選手権を制覇。期待に応える形で、醍醐はもう1年続ける決心をする。そして、翌年以降はアルバイトをスタート。「朝早くにアルバイト、それから先生のところで練習と時間的にはハードでした。でも、メリハリがついて精神的には良かった」と、少しずつ生活の基盤を固めていった。

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だが、この2004年の日本選手権は2m10で8位と、またも挫折。これで醍醐は「今度こそやめよう」と考える。しかし大会から約2週間後、ジュニア時代の日本代表コーチである福間先生に呼ばれ、向かったマットに光明が見えた。「先生に『ちょっと跳んでみろ』と言われて跳んだんです。そしたら、練習で日本選手権の記録を超えてしまったんです。それも短い助走で。その時、本当に『気持ちの問題なんだ』と実感できた」。

コツを掴みスランプから抜け出した醍醐は、2m27と大きく記録を伸ばし2005年世界選手権行きを決める。“フリーターの星”などと呼ばれ注目されたこの大会をきっかけに、富士通への入社が決定。ついに未来に向けて、大きな希望が開けた。

この期間の苦しみを醍醐はこう振り返る。「あの経験がなかったらと思うと、逆に怖い。トントン拍子で進んでいたら、キャリア後半の陸上人生はなかったと思う。そういう時期があって良かったし、人間として色々勉強になりました」。


『絶対に勝てる』という気持ちを身につけるために

富士通への感謝

スランプを克服した醍醐は2006年に富士通へ入社。走高跳に没頭できる環境と精神的な安定を手にした。「陸上選手として、やはり富士通に憧れはありました。ただ、跳躍の選手がいなかったので、最初は『自分が入っていいのか』と思いましたけどね(笑)。でも本当に、気持ちの面での安定は大きかったです」。

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そんな醍醐は、入社1年目で早くも自分の価値を証明する。2006年日本選手権で2m33を跳び、日本記録を更新。苦労の末の成功は格別だった。「フリーターの時期があっただけに、記録が出た時は感慨深かったですね。何かが大きく変わったわけではないですが、『ありがたい』という感謝の気持ちで、競技に臨めるようになった。今でも、1年1年続けられることに喜びを感じています」。

跳ぶ瞬間、醍醐は常に「無心で挑む」ことを考えているそうだ。富士通入社により様々なしがらみから解放された醍醐は、より競技者としての価値を高めることができた。一時期世間から“もう終わった選手”とまで言われた醍醐が、鮮やかな完全復活を果たした瞬間だった。

今年はキーになる1年

以降、日本記録保持者として醍醐は、各大会でタイトルを獲得。そして昨年2009年もまた、醍醐にとって大きな変革の1年となった。日本GP、日本選手権で1位を獲得。自身3度目となるベルリンの世界選手権では2m20と不本意な成績に終わったが、まだ上を目指せると感じた1年でもあった。醍醐は昨年をこう振り返る。

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「調子自体は1年を通して良かった。ただ、気持ちのいちばん高いところが、世界選手権で出さなければいけなかったのに、日本選手権で出てしまった。実力では海外の選手とも、あまり変わらないと思うんです。あと足りないのは、海外で試合をするタフさや経験。調子が良くても、『絶対に勝てる』という気持ちで挑まなければ、世界では勝負にならない。だから今後は、海外で多くの試合を戦っていきたいと思っています」

醍醐が次に見据える大舞台は、2011年の大邱(テグ)の世界選手権と2012年ロンドン五輪だ。「その準備のためにも、今年がキーになると思います。今の流れを良い方向に変えられたら、ロンドンまで続けられると思う。だから今年は1回でも、海外で結果を出したい」。もうひとつ高く跳ぶために。醍醐にとって今年は勝負の1年となる。


プロフィール

醍醐 直幸

醍醐 直幸
(だいご・なおゆき)

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醍醐選手あれこれ

  • 富士通内で仲のいい選手は、「田野中さんや、同い年の堀籠(佳宏)ですね」。そんな仲良しの田野中選手。ちょうどインタビュー中に後ろを通りかかったので、ペットボトルのフタを開ける音でインタビューの妨害を試みたり、缶コーヒーを差し入れてみたりと、ちょっかいを出していました。本当に仲良し。
  • 子供の頃から、バスケやサッカーと色々なスポーツを経験している醍醐選手。陸上でなければ、何をやっていたと思うか?「何かしらのスポーツはやっていたと思います。小学校の頃は野球選手になりたかったですし、サッカーにはもう少し早く出会っていたらとも思います」。やっぱりサッカーなら、超人的な跳躍を見せるキーパーでしょうか。
  • 中学校の時はハンドボール部に所属していた醍醐選手。「その経験も高跳びに通じるところがあると思います。遊びで色々やったスポーツが、うまく生きていると思いますし、やった方がいいと思いますね」と、未来のアスリートにアドバイス。
  • 奥さんの手料理で好きなものは?「基本的には何でも食べられるんですけど、生姜焼きですかね。洗い物とかは僕がやりますよ」
  • 奥さんも実は、結婚する前まで陸上の選手。三段跳びの選手だっただけに、今もトレーニングを見てもらったりするそうです。「あんまり多くは言ってこないので、指導してもらうというより、見守っていてくれる感じですね」。お子さんもたまに、練習へ連れてこられるのだとか。家族みんなのサポートを受けて、頑張れお父さん!

取材・文/NANO Association

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FIELD EYE

FIELD EYEとは?

観客席から観ただけでは決して感じとる事のできない選手ひとりひとりのストーリー。

陸上への想い、悩みや葛藤、そして素顔の部分など、選手自身の言葉で語っています。

今後もFIELD EYEでは選手に密着取材し、富士通陸上競技部の選手を紹介していきます。