FIELD EYE 横田 真人
負けず嫌いのプライド
少年の心を動かした2位の悔しさ
「中学の時の(東京)都大会で勝っていたら、陸上は続けていないですね。1位だったら『優勝した』って言えるけど、2位だと何も言えない。それが続けるきっかけになった」。22歳の若さながら800mで日本選手権3度の優勝。2009年10月には1分46秒16の記録で、15年ぶりに日本記録を塗り替えた横田真人。負けず嫌いの塊とも言える彼のインタビューは、こんな言葉から始まった。
横田が初めて陸上競技に関わったのは、中学3年生の時。当時、横田が所属していた野球部には、毎年一番足の速い人間が陸上部の助っ人に加わる慣習があった。そして中学3年の夏、部で最も俊足だった横田は、この誘いから逃げる作戦を立てていた。「中学校の野球部で、たくさん走らされて足が速くなったんですけど、陸上に全然興味がなくて断る準備をしていたんです。でも、顧問の先生に『もうエントリーしたから』って言われて渋々出ました」。
嫌々ながら大会に出場した横田だったが、いきなりこの大会の800mで優勝。都大会で上位だった選手に勝利し、自信を深めた。「ユニフォームにスパイクではなく、体操着に体育館シューズみたいな靴で出て優勝したんです。それで『いけるかな』と思いました」。ただ、横田の気持ちに火をつけたのは、優勝という栄誉ではなかった。逆に、その後の大会で結果を残せなかったことが、彼のプライドを刺激する。
「その後の私立学校の対抗戦で2位、(東京都)豊島区大会も2位。さらに都大会も2位で、悔しくてしょうがなかった」。その頃にはもう横田は、「高校では陸上を続けようと思っていました。他の部活はあまり興味がなかったです」というほどになっていた。
喜びと挑戦の繰り返しの中で
高校に進学した横田は800mを中心にエントリー。高校2年生の国体で2位、3年時にはインターハイで優勝、国体も大会新記録で優勝と、日本中に名を知られる存在となる。横田にとって勝利の味は格別なものだったが、それよりも目指すべき目標が彼の意欲を駆り立てる。「勝つ喜び=次の目標が生まれる。その繰り返しが僕にとって良かったんだと思います」。
高校を卒業する頃には、日本陸上界を代表する中距離ランナーとなっていた横田。「高校生で1分49秒台を出したのは2000年代だと僕ひとりなのです。それを、高校生活最後の国体で達成できた。僕の中ではインターハイ優勝と同じぐらいの目標をクリアできたので、高校の結果には満足しています」。
その頃から「練習メニューを組み立てるのは自分の楽しみのひとつ。自分で考えたり、本だけだと頭でっかちになるので人に話を聞いたりしていました」という横田。自らのプランにより、自分らしく陸上競技を続けることが大切だと考えた彼は、大学進学の際「自分らしさを出せる環境から慶應義塾大学を選んだ」そうだ。そして進学先で、新しい価値観に出会うことになる。
才能の開花と苦悩
2006年、大学入学後も順調に結果を残していた横田は、1年の時に日本選手権800mで初優勝と、ついに日本国内トップに立つ。同年7月のアジアジュニアでは、800m日本代表として見事に優勝。もはや、向かうところ敵なしの選手となっていた。
さらに翌年も日本選手権を制し、800mで2連覇を達成。この後、大阪で開催された世界選手権では1分47秒16を叩き出し、自己ベストを一気に1秒26も更新する勝負強さを見せた。しかし、大舞台での活躍以降、伸び悩むこととなる。
「日本では1分47秒を破れない選手が多い。自分は違うと思っていたのですが、僕も世界選手権の後から約2年間、自己ベストを出せず苦しい時期を味わいました。怪我をした影響もあったと思うのですが、記録が出せなくなり苦しさは感じましたね」。そして、その苦悩の中で、横田はひとりのトレーナーに救われることになる。
気付いた足りなかった要素
「大学4年生の最初ぐらいから、トレーナーさんに見てもらうようになって、トレーニングも指導してもらうようになりました。でも、それからすぐに大きな捻挫をして、走れなくなった。その時、すごい量の基礎練習を出されました。僕が1番嫌いな腹筋・背筋とか地味なトレーニングばかりで、『やってられるか!』とも思いましたね(笑)」。
今まで自己流でやってきた横田。そのトレーニングは間違いでなかったものの、やはり基本を避けてしまうところもある。しかし、「その時は部の主将だったこともあり、そのメニューをやりました。それで復帰して走りだした時に“自分の走りが変わった、しっかりした”と気付けた。だから、今まで基礎を疎かにしていた部分もあったのかなと思いました」。
その年、2009年10月18日、日本体育大学最終フィールド競技会において横田は、1分47秒の壁を破る1分46秒16を記録。15年ぶりに日本記録を0秒02塗り替えた。その足がかりとなったトレーナーとの出会いに、横田は感謝する。「補強などをやっても、なかなか実際の走りでは実感できません。だから、怪我をして実感できたのは良かったと思う。考えを転換できたのはトレーナーさんに見てもらったからだと思うし、すごく感謝しています」。
怪我と苦悩を経て、ひとまわり大きくなった横田はもはや日本陸上界のエースとなっていた。
富士通の屈強なライバル達の中で
大学卒業後、富士通に入社した理由を「日本トップの強豪チームであり、競技に集中できる環境やサポート体制が整っていると感じたから」と話す横田。陸上競技部に入った後も、負けず嫌いは変わらない。「富士通の顔と言われる、強い選手がいます。自分も『富士通と言えば横田』と思われる選手になりたい。そんな想いは強いです」。
もはや、横田の規格は国内に収まらない。福嶋正監督も横田に対し「アジア大会代表に」と期待を寄せる。横田自身も、これに応えるつもりだ。「富士通に入ったからには結果を出さないと意味がありません。日本選手権で結果を残し、アジア大会でも周りと互角に戦うのが目標。監督もそう言ってくださいますし、自分の自覚も明確になっていいです」。
もちろん、今後狙うのは世界だ。「同じ富士通陸上競技部に海外で戦っている人がいると、『僕も!』という気持ちになります。スタッフの方も選手を海外に送ることに慣れているので、そういった面でも良いチームに入ったなと思っています。他にたくさん活躍している選手がいるというのは、負けず嫌いの僕にとっては良い環境だと思います」。
「常に上を目指す気持ちでは誰にも負けない」
今年の目標は、「11月のアジア大会でのメダル争い、タイムとして1分45秒台は出したい」という横田。そうなれば、もちろん日本記録更新となるが、横田が目指すのはただの記録樹立ではない。「最終的には44秒台を出して、何十年かは破られない日本記録を作りたいなと思っています」。ただ、それをあせらないところも計画的な横田らしい。
「今も課題が改善されれば、45秒台のイメージはできています。44秒は、その先。非現実的な目標を立てると、あまり良くないと思うので、まず45秒からステップアップしていきたいと思います」。そして見据えるのは、44年ぶりとなる800mでのオリンピック出場だ。「大邱(テグ)の世界選手権で準決勝まで残って、ロンドンで決勝に残るのが今の最大の目標です」。
横田が思い描く自分の未来。それは予想外なものだった。「実はロンドンオリンピックまでしか考えていないんです。いつもそうなんですよ。大学の時も世界ジュニアで辞めるつもりで4年経ちましたし、ジュニアで日の丸を背負ったらシニアでもという感じで、今まで続けてきました」。それは、ひとつの目標に全てを賭けている証拠。もちろん、負けないためにだ。
横田は語る。「僕は常に上を目指す気持ちでは誰にも負けないと思っているので、それが溢れる走りをしたい。トップを走っていても、次のステップに向かっているのが滲み出るような、そんな選手になりたいです」。その言葉には、生粋の負けず嫌いとしてのプライドが表れていた。
- 横田 真人
- (よこた・まさと)
- 自分の性格を分析すると「1番最初に思い浮かぶのが負けず嫌い」という横田選手。小さい頃から、ずっと変わらないそうです。「小学校の体育でサッカーやって、負けたら泣いてましたね(笑)。何をやっても、負けたくない気持ちはあります。だから、勉強も負けたくなくて、学校でも学年で一桁以内に入らないとイヤみたいな気持ちはあります」
- そんな性格からか、勉強も得意な横田選手。得意な科目は?「高校の時は数学と英語でした。英語も結構得意で自信はあったんですが、大学に帰国子女が多くて、入ってみたら1番下のクラスだったんです。その時は逆に負けず嫌いが災いして、ヤル気をなくしたこともありましたね。『これは戦えない』と思って(笑)」。
- 練習メニューを立てる時も、きっちりしている横田選手。「メニューを考える時も、限られた時間で、例えば次に日本選手権があったら、その時間の中でやれることを考えます。短いものから長いスパンのものまで立てます」。
- きっちりした性格な横田選手だけに、友だちと遊びに行く時も、全部自分がプランを立てるそうです。例えば旅行。「去年も同期3人、後輩3人の6人でロスに1週間行ったんですよ。その時も周りは『横田がやるから大丈夫』ってなって、僕も1時間単位でスケジュールを組んだんです。朝も7時に起きて、8時に出発。夜10時ぐらいにはすぐ寝てください、みたいな具合に。旅行よりは修行みたいな感じでしたね(笑)」。
- 横田選手に得意なレース展開を聞いてみました。「最初からトップでもいけますし、ビリからでもいけます。前半型とか後半型とかじゃなく、何でも大丈夫です。どんな状況でも勝ちます」。負けず嫌いな横田選手のこれからに、期待しましょう!
取材・文/NANO Association