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陸上 富士通陸上競技部


FIELD EYE 岩水 嘉孝
3000mSCから駅伝へ、そしてマラソン。第2章のスタート

3000mSCとの出会い

11月3日、穏やかな秋晴れの中、東日本実業団対抗駅伝が行われた。昨年この大会で5位、そして今年の元日に行われた全日本実業団対抗駅伝競走大会(以下、ニューイヤー駅伝)で優勝した富士通陸上競技部だったが、この日はまさかの苦戦。ニューイヤー駅伝への出場権は確保したものの、予想外の9位に沈んだ。そして、2年ぶりに駅伝を走った岩水嘉孝は第4区(9.8km)を走り、記録は30分27秒。区間10位と平凡なタイムだった。しかし、これは3000m障害(以下、3000mSC)の第一人者から、駅伝、マラソンという新たな舞台に向かう岩水にとって、新しい陸上人生の始まりだった。

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岩水が3000mSCと出会ったのは高校2年の時。愛知県豊橋市で生まれた岩水は中学から陸上を始めた。中学3年の時は、3000mで県大会2位に入るほどの選手になっていた。「中学では3000mが一番長い距離なのでどうせやるなら、という感じで中学3年の時は3000mだけにこだわってやっていました」。その後、隣町にある豊川高校に声をかけられ進学する。豊川高校は駅伝の県大会で上位にくる程度で、それほど練習も厳しくない高校だった。当時の先生は生徒たちの自主性に任せていたそうで、岩水らは、『ジュニア時代は下積みだから、自分で考えながらやりなさい』と言われていた。「だから常にどうやれば速くなるかを自分たちで考えていました」。岩水にとってはそれが良かったのか、高校2年で1500mと5000mでインターハイに出場するまでの選手になっていた。

そして、高校2年の時に「かっこいい競技だと、ずっと思っていた」と岩水が言う3000mSCも始めた。最初は遊びで、試しにやってみるという感じだったが、5月の記録会で初めて走り、いきなり全国ランキングで1位になり、3年生ではインターハイ優勝。そしていくつかの大学から声がかかるが、箱根駅伝を走りたい気持ちから順天堂大学を選んだ。高校の先生は「高校時代は自分で考えてやった。ただ、指導がきちんとできていないから、大学はしっかりした指導者がいるところに行きなさい」とアドバイスしてくれたという。ここで一旦、岩水は3000mSCから離れ、駅伝に向かった。


箱根を目指した大学時代、そして3000mSCで世界へ

大学では1年生で箱根駅伝に出場。1区を走り、区間8位と健闘。そう書くと順調に見えるが、スタートラインに立つまで、かなり苦しかったと岩水は言う。高校の時に追い込んだ練習をしていないため、練習に全くついていけず怒られる毎日。その時に大学の監督に言われたのは、『「陸上競技は楽しい競技ではない」「楽な競技ではない」』ということだった。それから岩水は少しずつ陸上競技に対しての考え方を変えていく。それと共に結果が出るようになり、1年生で箱根駅伝出場を果たしたのだった。その後、岩水は3年まで箱根駅伝に出場。3年ではエース区間の2区を任されるまでになっていた。

こうして一度は3000mSCを離れ、駅伝に注力した岩水だったが、3年になり、3000mSCを再び走るようになる。だが、高校時代より走力はついたはずなのに、なぜか記録は高校と変わらなかった。「3000mSCは奥が深い種目で、平地で速い選手が、SCで強いわけではない。高校の時にタイムが伸びたのは、遊びでサッカーなどをしていて、単純に走るだけでは鍛えることのできない筋力が鍛えられていたからです」。岩水はショックを受け、富士通出身で3000mSCを専門に走っていた仲村コーチにアドバイスを求める。それからは調整運動(動きづくり)を意識して行ったり、クロスカントリーを取り入れたりすることで、タイムを縮めていった。4年の時は3種目でインカレに出場。10000mが4位、5000mが2位、そして3000mSCで優勝している。

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また、同じく4年時に2001年エドモントンで行われた世界選手権に3000mSCで出場。しかし、初めての大舞台は「本当に出ただけでした」という結果に終わるものの、トラックでの活躍は目ざましく、最後の箱根駅伝では順天堂大学の絶対的エースとして2区を走るはずだった。しかし・・・、肺気胸で手術を受けたため、出場はかなわなかった。その時の話になると、岩水は「あの時は・・・やっぱり・・・悔しかったですね」と、途切れ途切れの言葉で語ってくれた。そして卒業。この時、「監督から『陸上を続けろ、伸びるから』と言われました。それに『とりあえず3000mSCをやれ』とも言われました」。4年生で最後の箱根に出られなかった岩水は、再び3000mSCにターゲットを定めた。

監督のアドバイスもあり、岩水は地元愛知の企業に就職する。岩水は社会人になり、3000mSCを中心に競技生活を送る。そして入社2年目、2003年パリの世界選手権に出場。予選で日本記録を出し、決勝に進出。見事11位に入った。2004年のアテネ五輪では直前にケガをしたこともあり、予選落ちするものの、その後、2005年、2007年の世界選手権にも出場を果たし、3000mSCで日本の第一人者の地位を確固たるものにした。しかし、2008年の初め、北京五輪を集大成にするため、3000mSCに集中したい岩水は、トラック種目と駅伝の掛け持ちをすることで十分な力が発揮できずにいる現状に悩み、そして会社やチームのメンバーに迷惑をかけまいと3000mSCに専念できる環境を求めて会社を退職することにした。

会社を辞めるにあたって「いろいろ悩みました。会社を辞めてから考えていた時期が長かった」と岩水は振り返る。退社した岩水にはいくつかオファーが来たが、自ら富士通を選んだ。最終的に決め手となったのは、『3000mSCで五輪を目指し、駅伝はその後で』というスタンスだったそうだ。しかし、北京五輪で3000mSCは終わらなかった。「北京で走り終わっても、『まだもうちょっとやりたい』という思いが強かった。そして迎えた2009年ベルリンの世界選手権では残念ながら予選敗退。「結果は仕方ないというか実際、力不足でした」。そしてこのレースを最後に、3000mSCを封印し、岩水は駅伝へと再び舵を切ったのだった。


駅伝、そしてマラソンへ

「3000mSCは辞めようと思っています。駅伝に出て、最終的にはマラソンです」と岩水は今後について話す。ベルリンを節目にして、第2章がスタートといった感じだろうか。「ちょうど30歳になりましたし、ゆくゆくはマラソンをやりたいので、走る距離を伸ばしていきたいと思います」。しかし、3kmから42kmはあまりにもかけ離れている。「もちろん、いきなりは難しいですから、藤田(敦史)さんにもいろいろ教えてもらいながらやっていこうと思っています。藤田さんのような見本がいますし、福嶋監督とも相談しながら、徐々にやっていきたい。まずは、ハーフマラソンや30kmをクリアしながら」。

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そして今年の東日本実業団駅伝。12位でタスキを受けた岩水選手は向かい風の中、前半から突っ込んでいったため、後半が伸びず、12位のままタスキは5区へ。「自分の持ち味は状況を冷静に判断しながらレースを進めていくところですが、あの日は向かい風が強く、期待されている意識もあって、序盤の遅れを取り返したい気持ちが強く、空回りしてしまった。失敗レースです」と反省する。「本番までのあと1カ月。しっかり身体を作ってニューイヤー駅伝に合わせたいと思います。練習はちゃんとできていますし、原因もわかっていますから、あまり落ち込まずにやれると思います」。

最後に3000mSCのことを聞くと、「競技を続けるので、ベルリンを『3000mSC引退レース』と発表したくなかった」と語る。「3000mSCを引っ張ってきた立場なので、3000mSCの選手のこともしっかり見ていきたい。富士通にも後輩の菊池(昌寿)がいますけど、国内の3000mSCがもたもたしていたら、また3000mSCに出るかもしれません(笑)」。3000mSCの第一人者であった岩水は駅伝、そして未知なるマラソンの舞台へ進む。岩水の第2章は始まったばかりだ。


プロフィール

岩水 嘉孝

岩水 嘉孝
(いわみず・よしたか)

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岩水選手あれこれ

  • 趣味が多いという岩水選手。釣りに車に映画鑑賞。さらにはスニーカー集めと確かに多い。釣りは寮の近くにある河口へ行き、ルアーでシーバスを狙っているそうだ。「シーバスって夜しか釣れないので、夜に行きます。でもまだ釣ったことがないんですよね(笑)」
  • 最近の釣果はハゼ。「4人で30匹くらい釣って、管理人さんに天ぷらにしてもらいました」。ちなみに福嶋監督は渓流釣りに関してはプロ級。合宿に行くと練習の合間に川でイワナを釣ってきて、みんなに食べさせてくれるそうだ。自給自足が陸上競技部の基本?
  • 車が好きという岩水選手。「前の所属チームの時は、みんな車好きなんで、車の雑誌がいっぱいありましたね」。映画鑑賞は部屋でストレッチをしている時に見るという。「シアターセットで、DVD鑑賞ですね。レンタルで最新作はほとんど見ますよ」。
  • スニーカー集めも好きだと言う岩水選手。「陸上競技部はみんなスニーカーが結構好きなんですよ。ブーツは職業柄履けないので」。
  • これからやりたいと思っていることは自転車だという岩水選手。「水泳は昔やっていたので、自転車をやって、引退したらトライアスロンにでも出ようかなと(笑)。自転車屋さんに行くと「いい足してるね!レースに出てみないか」とか言われるそうだ。
  • ゲンかつぎはしないという岩水選手。「ジンクスとかゲンかつぎは、持たないようにしています。海外だと想定しないことも起こるので、どんな状況でも平常心でいられるようにしています」。
  • その海外では食事をきちんと取れず、ファーストフード店のハンバーガーを食べて試合に出たこともあるそう。それでも日本からインスタントみそ汁などの食料を持っていくことはしないそうだ。ちなみにこの後、好きな食べ物を聞くと岩水選手は「ハンバーガー」と発言。これには取材班一同、ズッこけた。

取材・文/NANO Association

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FIELD EYEとは?

観客席から観ただけでは決して感じとる事のできない選手ひとりひとりのストーリー。

陸上への想い、悩みや葛藤、そして素顔の部分など、選手自身の言葉で語っています。

今後もFIELD EYEでは選手に密着取材し、富士通陸上競技部の選手を紹介していきます。