三谷藍インタビュー Part.2 シックスマンとしての存在感


思い返せば富士通レッドウェーブがWリーグ屈指の強豪へ突き進む時期と、三谷藍の成長曲線はぴったり合致する。三谷が入社した2001年、レッドウェーブはWⅠリーグ(今はなくなったが、Wリーグの下位に位置する2部リーグ)に属していた。同年チームがWⅠリーグを制し、Wリーグ昇格を決めると、三谷個人はWⅠリーグの新人王を獲得。2005年、三谷が日本代表に初選出されると、チームは翌2006年からオールジャパン3連覇を達成。2007-2008シーズンにはWリーグ制覇も達成している。その後、日本屈指のオールラウンドプレーヤーとして国内のみならず、アジア、世界にも活躍の舞台を広げた三谷は2015年、4年ぶりに代表復帰。アジア選手権制覇にも貢献した。前後して、チームはしばらく遠ざかっていたWリーグファイナルへの扉も開いている。そんなレッドウェーブ一筋16年の三谷藍が2017年春、その競技人生に幕を下ろし、新たな道を歩み始める。

 

◆日本代表に選ばれて変わった意識今年度(2017年度)の女子日本代表候補に、富士通レッドウェーブからは6名の選手が選ばれた。山本千夏、篠原恵、篠崎澪、町田瑠唯、長岡萌映子(のちに退部を発表)、そして新人の栗林未和である。彼女たちはそれぞれに豊かな才能を持ち、高校時代から将来を嘱望され、アンダーカテゴリーの女子日本代表にも選出される逸材たちであった。富士通から世界へ、との気持ちを持って入社してきたわけだ。

しかし三谷藍は彼女たちとは異なる。自分が日本代表に選ばれるなんて、「まったく思っていなかった」し、そもそも日本代表入りを目指していたわけでもない。裏を返せば2005年、三谷が日本代表に選出されたことは、本人にとっても青天の霹靂だった。

「こんなことを言うと関係者の方々に申し訳ないのですが、選ばれたときにそこまでの感動はなかったかもしれません。それよりも知らないところに入ってプレーする不安のほうが大きかったですね。私はこう見えて人見知りで、知らない人が集まるところに入っていくことが得意ではないから、怖いなって思ったんです」

時代は、今でこそあまり珍しくなくなってきたが、180センチオーバーのオールラウンダーを求めていたとき。三谷はそれに合致したが、だからといってすぐに日本代表の試合に出られるわけではない。不安は合宿を重ねるごとに消えていったが、次に沸き起こってきたのは悔しさだったと三谷は認める。

「最初に日本代表へ入ったときは試合に全然出られなくて、走り込みしかしていなかったんです。レッドウェーブに戻ったら試合に出られるのに、日本代表に入ったら試合に出られない状況がすごく悔しくて、そこから日本代表を1つのチームとして考え始めたんです。そうして何年か続けていたら、日本代表でもっと試合に出たいという欲が出てきて、このチームで勝ちたい気持ちになっていったんです」

◆三谷藍という存在が日本に残したもの日本代表の強化合宿で見る三谷は、主力チームを相手にする、いわゆるBチームであることが大半だった。それはとても重要な役割であるが、一方でそこに安住を求める選手は誰もいない。練習後、三谷は黙々とトレーニングを励んでいた。練習後だけではない。国際大会に参加したときなどは、試合に出られなくても、毎朝の走り込みを欠かさなかった。そうまでしても試合に出られるかどうかわからないのが日本代表である。

その後、一度は日本代表から離れるが、2015年、再び三谷はその座に返り咲く。BTテーブスのもとでシックスマンとしての存在感を示し、その力が認められてアジア選手権に臨む日本代表に選出されたのだ。しかし三谷の出場時間は極めて少なく、全7試合中3試合しかコートに立っていない。そのうち2試合は日本が100点前後の得点をあげるような大差のゲームだった。中国との決勝戦も、思わぬ大差がついたことで三谷は日本代表として最後のコートに立ち、3ポイントシュートを1本沈めている。そのときのベンチの喜び方が三谷藍という人物の、チームでのポジションを物語っている。ベンチの選手たちはその瞬間を「待っていました」とばかりに、飛び跳ね、喜んだのである。

そのように三谷は日本代表で突出した記録を残したわけではない。

「でも私にとって日本代表に選んでいただいたことは、とてもプラスです。いい経験をさせてもらいました。学生のときは、まさかそんなことを考えもしない選手だったのに、富士通に入って、いろんな人に出会って、まさか日の丸を背負って試合をするなんて……嬉しかったですね」

五輪の舞台に立つことはできなかったが、2016年夏に女子日本代表が8位という成績を残した陰に、富士通レッドウェーブの三谷藍がいたことを忘れてはいけない。

◆3つのメッセージレッドウェーブ退部した三谷は今、次のステップに向けて充電中だという。何かやることが決まっているわけではない。思い描いているものはあるが、今はまだ人に言えるような状況にない。現役生活を終えた今、まずはゆっくりとこの先のことを考えたいということなのだろう。

最後に三谷は3つのメッセージを残してくれた。
まずは入社以来、さまざまな面で支えてくれた富士通社員の方々に対して。

「私が入社したときはWリーグの2部(WⅠリーグ)で、女子バスケット部の認知度も低かったと思うんです。でもオールジャパンやリーグで優勝したり、勝つことが増えていって、だんだん社内で声を掛けていただくことが多くなっていきました。『応援しています』、『見ています』って。体育館で出会う人もそうだけど、そういう声が増えていったことは本当に嬉しかったし、そういう人たちの期待に応えたい思いもあったので、ここまで頑張れました。最後はもう少しよい終わり方をしたかったんですけど、それが叶わず、申し訳ない気持ちもありますが、後輩たちが頑張ってくれると思うので、引き続き応援していただけると嬉しいです」

次に全国に拡大していったレッドウェーブファンに対しては明るく、笑いながら、こう切り出した。

「やはり年を取るにつれて、ファン層が変わっていく現実を目の当たりにした16年でした(笑)」

そしてこう続く。

「若いころはファンも若い人だったり、男女両方いましたけど、年々、主婦層が増えていったんです。でも、それが自分のやってきたことのすべてだと思います。この年齢まで、バスケットボールという激しいスポーツをやってきたことで、主婦の方だったり、同年代より少し上の方から『元気をもらえる』とか『私も頑張ろうと思います』と言ってもらえることがすごく嬉しかった。それまでもファンの存在や言葉はありがたかったですが、年齢を重ねてからのほうが、それらの言葉がより一層身に染みたし、そういう声を聞いて自分自身も『もっと頑張ろう』と思えたんです。だから全国各地で声をかけてくださったファンの方々、ずっと応援してくださった方々に本当に感謝しています」

なんとも三谷らしいお別れの言葉である。日本のトップに立ちながら、いつもファンと同じ目線で話してくれる。これが愛される選手の要素なのかもしれない。

そして最後に三谷は、レッドウェーブのDNAを引き継ぐべき、チームメイトたちにもエールを送った。

「昨シーズンの負け方を一人ひとりがどう捉えているかが、今シーズンに反映されると思うので、みんながどれだけあの悔しさをバネに1年頑張れるか。1年って短いようでいて、出だしはすごく長いものだから、その集中力や意地をどれだけ持続できるかが大切だと思います。また私が辞めて、ずっとチームにいたベテランがいなくなることって、とても大きなことだと思うんです。でもそれをプラスに捉えてほしいと思います。負けたことや、ベテランがいなくなって、選手それぞれの責任は重くなっていくけど、それを自分が変われるチャンスだと思って頑張ってほしいですね」

WⅠから始まり、黄金期を迎え、勝てない苦しみを知り、そこから這い上がることの難しさを経験してきた三谷が抜ける穴は大きいが、だからこそ、チームはさらなる高みを目指して、次の一歩を思いきって踏み出せる。苦しいときは三谷に相談すればいい。

三谷藍さん、16年間、本当にお疲れさまでした。そして感動をありがとう!